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解答サンプル

※問題は第1日配布

 

東京慈恵会医科大学2025

【要約】

芸術には必ずモチーフが存在し、それは単なる主題ではなく、創作を内面から突き動かす根源的な力である。技量があっても訴えるものが欠ける作品には、このモチーフが不足している。モチーフはモチベーションと異なり、外的要因に左右されず、時間とともに静かに深まるものである。人生においても、生きるモチーフと呼ぶべきものが存在し、それは目標のように達成されるものではなく、むしろ人を支え導く見えざる力として働く。セザンヌは「モチーフをつかむ」と語り、自我を抑えて対象と真摯に向き合う姿勢を示した。モチーフとは、自らの意志でつかむものではなく、自己を越えたところから人を生かす守護のような働きを持つものである。(296字)

 

【論述】

 セザンヌの言葉を読み、私は「自分というものが干渉すると、凡ては台無しになる」という一文に深く引き寄せられた。モチーフとは自らの意志でつかむものではなく、自己を越えたところから人を生かす守護のような働きであるという。初めて読んだとき、正直その意味がよく分からなかった。だが、何かに突き動かされるようにして、私はこの言葉のまわりを歩き続けている。

 人は「なぜそうしたいのか」と問われると、つい説明を探す。たとえば、小児科医を志望する私は「医師不足だから」「社会に貢献したいから」といった言葉を整える。しかし、どこか違う。ふとした瞬間に心が動くことがある。たとえば、泣いている子どもを見て思わず駆け寄ってしまうようなとき。そこには目的も理屈もない。ただ、「気づけば体が動いていた」という事実だけが残る。そうした反応こそ、モチーフのようなものではないかと思う。

 私は「突き動かされる」という言葉が好きである。そこには、外から押される感覚と、自分の中の何かが応答している感覚とが共存している。人は外から命じられて動くのではなく、外の出来事に自分が反響して動く。自分が動かされるのではなく、世界と自分とが同時に動く。モチーフとは、その合力が生じる瞬間に宿るものだと思う。

 セザンヌは「モチーフをつかもうとしたとたん、関係は見失われる」という。つまり、自分の手でそれを操作しようとすると、かえって遠ざかる。思えば、何かを「好き」だと感じるときもそうである。「なぜ好きなのか」を問い詰めるほど理由は曖昧になり、ただ“好きである”という事実だけが残る。好きという感情は、私の内側にあるようでいて、同時に私を越えたところから訪れている。だから「子どもが好きですか?」という問いに「はい」と答えることは難しい。その「はい」は自分の意志の表明であると同時に、「私ではない何かに動かされている私」の告白でもあるからだ。

 医療という営みもまた、そうした共鳴の上に成り立っているのではないか。患者を救いたいと思う気持ちは、自分がそうしたいという意志であると同時に、患者の苦しみという呼びかけに反応して生じるものだ。そこでは「自分が助ける」ではなく、「助けたいという気持ちが私を動かす」という順序の逆転が起こる。医師は自己の使命によって生きるのではなく、他者との出会いによって生かされるのだと思う。

 モチーフは、目的のように到達すべき点ではない。むしろ、私たちの生を静かに導き続ける流れである。自分という小さな意志を超えたところで、誰かの痛みや微笑みが私を動かす。その力がある限り、私は自分の選んだ道を信じて歩むことができる。モチーフは私を支配するものではなく、共に歩む見えない同伴者である。だからこそ、私は医師という仕事を「自ら選ぶ」というより、「選ばれている」と感じたい。そう思うとき、セザンヌの言葉が少しだけ分かる気がする。(1194字)

​出題意図

※問題は第1日配布

昭和大学2025

1.医療人としての「誠実さ」「継続性」「まごころ」 が問われている

 既卒研修医が初期研修を終えず美容外科に就職する「直美」現象を取り上げることで、「医療人に必要とされる姿勢」を問う問題になっています。すなわち、

・患者・地域・医療体制に対して「まごころ」を尽くせているか。

・専門医まで研修を続けるという「継続性」「職業人としての責任」を果たそうとしているか。

こういった価値観を受験生が自ら考え、表明できるかが期待されていると考えられます。

2.個人の自由・選択と、医療人としての社会的責任のバランス

 至誠一貫には「常に相手の立場にたって」という文言が含まれています。つまり、医療提供者が自分だけでなく患者や社会の立場を考えるべきという価値観です。

 その意味で、「直美」というキャリア選択が、個人として合理的/魅力的でも、患者・地域・医療制度に対してどのような責任を果たしているのか、という問いが背景にあると読み取れます。

3.チーム医療・連携という教育方針とリンク

 昭和大学医学部では、「チーム医療教育」「学部横断」「全寮制」「人との関わり」など協調・思いやりの心を育む教育が重視されています。

 そのため、この出題では単に個人の選択というより、「医療チーム/地域医療にどう関わるか」「専門医制度を通じてどうチーム医療を支えるか」という観点も暗に求められている可能性があります。

4.社会・地域への貢献という使命観

 「至誠一貫」の理念には「国民一人ひとりの健康を守るために孜々として尽力」といった言葉も含まれています。

 つまり、医学部生・医師志望者には、『自らの専門性を通じて、地域・社会・患者に貢献する』という視点が期待されており、この出題は「直美」という変化の中で、その貢献という視点がどう揺らぎ得るか/どう守るべきかを問うものとも言えます。

 

順天堂大学2025

 最大のテーマは、「写真に映らないものを想像し、医師としてどう向き合うか」を問うことである。課題文にはWHOの健康の定義が引用され、健康が単に身体の問題だけではなく、精神的・社会的な要因に左右される多面的な概念であることが示されている。しかし、この定義は知識の確認に留まらず、写真の少女が生涯にわたって直面し得る「見えない健康問題」を発見するための入口として位置づけられている。

 写真に写る少女は、一見、病弱ではないように見える。だが、医師を志す者に求められているのは、その表面だけを捉えることではない。彼女の背後には、貧困、教育の欠如、過度の労働、安全な生活環境の不在、そして女性への差別や社会的排除といった、将来の健康を長く蝕む社会的要因が潜んでいる。こうした直接見えない課題を読み取る力こそ、「眼光紙背に徹す」という、本学の求める“心映え”の核心である。

 また、この大学の学是は「仁」である。設問後半で「医師としてできること」が問われている背景には、苦境にある人々の前で思考停止せず、無力感を抱えながらも手を差し伸べようとする姿勢が真の「仁」として求められている点がある。医師が抱く「無力感」は逃避の言い訳ではなく、「どうすれば一歩を踏み出せるか」を考え続ける出発点になり得る。つまり、理想論を語るのではなく、制約下でも現実的な支援を模索する意思の強さが評価の対象となっている。

 この小論文は、知識を披露するためのものではない。感受性をもって痛みに寄り添い、その上で、社会的背景を構造的に分析し、医療者としての主体的な行動へとつなげる能力が問われている。見えない問題を見つける感性、優先すべき課題を選び取る判断力、そしてたとえ小さくとも実行しようとする意志。これら三つが揃ってはじめて、「医師としての適性」が示されるのである。

 したがって本問は、少女が直面する健康リスクを生涯にわたる視点で捉え、医師として社会にどのような希望の灯をともせるかを問う試験であった。順天堂大学が求める医師像—苦しむ人に寄り添い、共に未来を見つめることのできる医師—にふさわしい受験生かどうかを測る、極めて本質的な出題であったといえる。

参考問題

防衛医科大学2026

設問:「老化」について述べなさい(600字)

 

老化は「病気」なのか?

そして、ここであらためて触れておきたいのが、「老化」とは果たして「病気」なのかという問いだ。南野教授の見解は、「治療」を行うのであれば、やはり老化を「病気」として捉える社会的なコンセンサスが必要だというものである。

「老化の治療は健康寿命の延伸に寄与するものなので、『抗加齢』という言い方は現在でもできます。しかし、では、どのようなタイミングで老化に対する治療が適応できるかというのは、医療だけではなく社会的な問題です。老化の治療が可能になるかどうかは、国がそれをどのように捉えるかにもかかわってくる。これは老化研究において世界的にも議論されている課題です」

南野教授が老化のビジュアル化が必要だと指摘するのは、老化細胞がその人にどれだけ溜まっているかが分かれば、それを「病気」と認識する基準ができるからでもあるわけだ。

「老化が病気として認められなければ、我々の目指す『治療』は先に進むことができません。しかし、老化をビジュアライズしなければ、それを『病気』だとは誰も納得しません。

つまり、老化の可視化は老化治療を社会実装するための手段でもあるんです。血圧、年齢、タバコを吸っているかどうか。また、歩く速度や食事の量、体重の推移など、さまざまな指標を組み合わせれば、今は病名の付いていない普通に生活しているように見える人でも、予後が非常に悪い場合もあるでしょう。そうした人を病気と認識して治療する。とりわけ日本は国民皆保険なので、医療保険でカバーできるようにするためには、老化が病気であるという認識を広く国民の人たちに持ってもらう必要があると思います」

老化のビジュアル診断の開発までにはまだ時間がかかるが、今の我々にもできることはあるという。

「我々の仮説では、血圧、糖尿、脂質といった生活習慣病の危険因子によって、ゲノムに傷が入り、細胞が老化していくと考えています。つまり老化する前の上流の部分の異常を食い止めることです。それぞれいい薬があるので、そこで調整することは今すぐにでもできるでしょう」

夢の薬やワクチンの前に、日々の健康管理が重要だという養生訓にたどり着いたような境地になる。

 

出典:河合香織『老化は治療できるか』 (文春新書 1432) 2023/11/17

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