小テスト
解答例+サンプル答案(最新)
<14>医療制度改革
設問1
日本はこれまで全ての人に必要な医療が提供され、老後の生活が保障されるような社会を追求してきた。今後もこの方向をイエスとしたい。しかし、それには経済環境が良好で医療費や介護・年金金の財源が安定的に供給されるという経済基盤が必要。だが、現在は経済状況も安定せず、少子高齢化によって安定的財源の確保が難しくなっている。患者窓口負担をこれ以上増やすのも難しく、明瞭にイエスと言い切れない
設問2
日本では国民はみな公的保険に加入することが義務づけられ、医療費は原則保険から給付される国民皆保険制度である。だが財源不足により患者の窓口負担が増え、赤字の保険には公費が投入されている。医療の価格は国が定めた診療報酬表による公定価格だが自由診療も認められ、利益優先の医療も増えている。一方、医師はどこでも自由に診療所を開業できる自由開業制によっている。そのために医療供給において地域格差も生じ、都市部の開業規制なども考えられ始めている。そして、患者はフリーアクセスであり、どの医療機関でも自由に受診できる。そのため軽症者の初診や慢性疾患の再診患者が機能の高い病院を受診し、病院の機能低下が生じている。
設問3
人口高齢化は疾病構造を急性疾患中心から慢性疾患中心に変化させている。そのためこれまで病院中心型であった地域医療を診療所のかかりつけ医が病状の軽重を見分けて病院に紹介する「病診連携」型に切り替わりつつある。これが医療改革の第一歩なのだろう。だが、COVID‐19の波の中で、この連携が不十分なため患者を受け入れきれず、自宅待機で医療にアクセスできないままに亡くなった人が多く出た。かかりつけ医の役割を明確にした制度整備が必要だろう。また、地域による医療格差や勤務医の長時間労働是正のため医療供給の難しいところが出てきている。日本では病床当たりの医師数が少なすぎる。その拡充なしにはどんな改革も難しいと思う。
<16>国際医療支援
問1
人々の健康と病気の捉え方とそれに対する行動は,その人々がその中で育ち習得した文化の中で物事をどう理解するかという世界観と密接に関係する。世界観を形作るのは文化以外にも個人的要素、教育的要素、社会・経済的要素、環境的要素があげられる。これらの文化の置かれている背景の中で読み解くことが必要となる。さらに文化は常に周りの文化集団との交流を通して、あるいは国内あるいは国際情勢などの政治・経済的状況の中で変化し続けるダイナミックなものである。そして他の文化との接触や交流により在来の文化はレンズに影響をうける。このような影響は一方通行ではなく,彼らを受け入れる社会の人々の文化のレンズにも影響を与える。
問2
問題解決のためには医療支援を行う地域の文化や歴史、そして現状の社会的課題などについて幅広い理解が必要である。しかし、当該地域で長く暮らしていないものが、そうした人々の思いを広く理解することは不可能である。
長期的な医療支援の場合には、その目的は当該地域の医療資源が充実していくための手助けである。医療者の育成や医療機関の整備、それを支える経済・政治システムなどについて、現地の人々を主体として求められる援助を行っていく。あくまで現地の人々が自分たちの医療を作っていくのであり、たとえ非合理的あるいは非効率的に見えても、その根拠をよく聞き話し合いながら支援を行う必要がある。
しかし緊急支援などの場合は現地の体制が崩壊した状態が多いだろうし、直面する課題に効率的に対処していくことが優先される。その場合には必ず当該地域の自治体の長など社会的リーダーと多少でも現代の医療に通じている人材に案内を請う必要がある。戦地や難民キャンプでもまとめ役はいるはずである。必ずその地の文化に根付いた案内者を求めることだと思う。
<参考問題>疑似科学
問1
科学の基本は「正しい」ことではなく、それを「疑う」ことにある。ところが、三種の疑似科学は自らの「正しさ」を説明することに執心する。疑似科学の第一種は「人間の心理(欲望)」につけ込み、第二種は「科学的装い」をもつことで、第三種は「結論」を下してシロかクロかの決着をつけることで、それぞれ「正しさ」を説明する。共通しているのは、「正しさ」を信じて「疑う」ことをしない点にある。(186字)
問2
批判とは特定の物事の意味・価値を否定することである。多くの場合、批判は対象に替わる新しい意味・価値を提示しない。そのように「本来あるべき姿」を提示せず、自分で探そうとしない姿勢では、人間や社会は混乱するばかりで、直面する課題は放置される。筆者はそれを問題視している。疑似科学を避けるために科学は「疑う」ことを大切にすべきだが、同時にそれぞれが考える「正しさ」を提示することも忘れてはならない。(196字)
問3
疑似科学に嵌らないために「疑う」ことは大切だ。ただ、その難しさを前提にしないと、単なる「べき」論に終始してしまい、いつまでたっても「疑う」姿勢は身につかない。
「疑う」ことの難しさとは、その対象となる疑似科学に嵌り込み、「正しさ」を信じて疑わない人たちがいるからだ。私があることを「疑う」ことは、その人たちの信念や存在すらも否定することになる。彼・彼女らにとって、それは「自分」を失うことにつながり、不快であり恐怖ですらあるだろう。だから、私が「疑う」ことに全力で反発するはずだ。それが私の考える難しさである。
こうした難しさと向き合うために、私は「強く」なければならない。ここでいう「強さ」とは、相手を説き伏せる「強さ」でもあるが、同時に相手を受容する「強さ」でもなければならない。前者には、科学的に物事を理解し、考える「能力」が必要であることは言うまでもない。ただ、下線部「本来あるべき姿」のような自らの理想や信念をもつことも大切だ。一方、後者に必要になるのは、相手の話をよく聴く粘り強さやその真意をつかもうとする人間性である。このように自他の両面で「強く」なることが「疑う」姿勢を身につける。(497字)
<6>科学否定論者への対応策
解答例
問1:科学の根拠となる反証可能性を使い、どういった証拠があったら自分の間違いを認めるのか問いかける。「そんな証拠はない」と応答するなら間違う可能性が最初からありえない仮説を信じていることになる。「こういう証拠があれば,間違いを認めよう」と応答してくるならその証拠を突き付ける。これが理詰めの対応だ。だが、この問いにまともに答えなかったり、むきになっていることが疑わしい証拠と上げ足を取られる可能性が高い。
問2:自分と親しい非専門家への意見への依存,トラウマによる思い込み,特定のコミュニティへの帰属意識、SNS上の閉鎖的な交流などは私たちにも経験はある。だがこれが行き過ぎると科学否定論や陰謀論に結びつくという。何らかのきっかけで芽生えた科学への疑問がこうしたものへの過剰な信頼につながる危険が常にある。
問3:それぞれの考え方を広く社会に考えてもらう方向で説得する。仲間内で陰謀論を語るのでなくデータをそろえて論証していこう。科学は反証可能性を持ち絶対正しいものではない。科学否定論者の言説が絶対間違っているとも言えない。基本的にはデータをもとに目の前の事実をどう解釈するかだ。データの真偽とその解釈を提示して、多くの人々に考えてもらえばよい。自分はそのように考えているので、あなたも自分の意見とデータを広く問いかけて欲しい。ただし、どちらかの主張に従って人々に大きなリスクが生じたらお互いに考え直そうと言う。
サンプル答案(ChatGPT)
問1:理詰めの対応策とは、科学否定論者に対して反証可能性や論理的な反論を提示することを指します。限界としては、科学否定論者は理性的な議論を受け入れず、自らの信念を頑なに守ろうとするため、論理的な反論が効果を持たない点が挙げられます。さらに、理屈で説得を試みることが逆に疑念を深めさせ、科学否定論者の信念を強化する結果となることもあります。このため、理詰めの対応策だけでは十分な解決策になり得ないのです。
問2:科学否定論者の信念の萌芽は、私たち全員が持つ証拠や理屈を一時的に棚上げして自分や身近な人を信じる心情にあります。この心情が極端に発展することで、科学否定論に至ることがあるため、誰もがその潜在的な素地を持っていると言えます。
問3:科学否定論者に対して、理屈で反論するだけではなく、彼らの背景や感情に寄り添い、対話を通じて理解と共感を示すことが重要だと思います。科学を否定する信念の背後には、深い不安やトラウマ、強い帰属意識がある場合が多いので、まずはその心情を理解する姿勢を持つべきです。信頼できる人物として話を聞き、彼らの視点や疑問に真摯に向き合うことで、少しずつ科学的な視点に目を向けさせることができるでしょう。このような対話を通じて、科学否定論者の信念を揺るがし、科学に対する理解を深める道を探ることが求められます。
<8>遺伝子診断
解答例
DTC遺伝子検査のメリットは、確定的ではないが自分の体の弱いところや疾患の可能性などがわかり、生活習慣などで予防的配慮ができるところである。また、体の不調と照らし合わせて心配なら医師に相談して、早期の対応が可能なことだ。つまり保健・予防の自己管理に役立つ。デメリットとしては、まだ確定できない情報をうのみにして、素人判断で誤った対処をしてしまったり、不安に悩まされることだろう。
単一遺伝子疾患の発症前診断は既に可能になっており、米国の女優のように家族性乳がんの発症確率が高いことが分かり、乳腺細胞の全摘で予防を行った例もある。DTC検査でも、医師との相談によって確定的診断に至って予防や治療のできる場合は有効性は高い。ただし、DTC検査はあくまで体質の傾向や病気の発症可能性の大雑把な把握なので、それだけをうのみにせず、必ず信頼できる医師や医療機関に相談することが必要だ。
また、体質や予防・治療のできる疾患についての検査なら良いが、アルツハイマーなどのまだ予防・治療の難しい病気で、生活にかなり大きなダメージがおよぶ疾患の場合、その可能性があるという結果が出ればどうすればよいのか。以前テレビのドキュメンタリー番組で若年性アルツハイマーの発症前診断を受けて、苦しみ続ける男性が定期的カウンセリングと家族によって支えられて生活している様子を見たことがある。発症しても人生が失われるわけではないが、やはりおびえ、苦しむ姿は観ているのが辛かった。
DTC検査によって何をなんのために調べるのか、また検査によって何がどのくらい分かるのか、事前にこうしたことを良く調べ、考えて利用するならよいが、課題文にあるような他人に安易にプレゼントするようなものではない。発症前診断などでも事前カウンセリングは不可欠である。まずはかかりつけ医に相談したうえで利用するのが最善だろう。
<1>情報を伝える
設問1
日本の子どもたちには宗教や民族、土地をめぐる争いは身近でなく、パレスチナ問題は経緯を知らなければ理解しにくい。模型を使った説明では実感がわかず、ただ仲が悪い者同士のケンカとしか感じられなかったからである。
設問2
筆者はテレビでニュースを伝えている。テレビは映像媒体ではあるが基本的に「音声メディア」なので説明は言葉になる。なぜなら映像などを使えば悲惨なイメージが多少は伝わるが、それだけでは出来事の意味や背景などは理解できない。そこを分かるように伝えるのは言葉でしかない。だからこそ言葉にこだわっているのだ。
設問3
子どもに正確な情報を伝えるには、子どもが分かる言葉でなければならない。そのためには子どもの言葉理解の範囲と、どこまでの説明が必要かを知ることが大切だと筆者はいう。「相手の気持ちを損なわない」ためには、相手の価値観や心情を考えながら言葉を選ばなければならない。つまり伝える相手のことを十分に知らなければならないのだが、常に相手のことを知っているわけではない。ではどうするか。そのためにはただ一方的に話すのではなく、常に理解を問い返し、そのことについての相手の思いを聴きながら対話を進めることが大切だろう。
<4>認知症の人の困難や苦しみ
解答例
私たちが人間・他者を理解するのは幼児のころだ。親や周囲からの働きかけによってそこに自分とは違う他者が存在するのを認識してゆく。やがて自分に反応して、欲求を満たしてくれることが分かると、そのように反応する相手を識別するようになり、そこから相互の意識的コミュニケーションが始り、物との判然とした区別が生まれると考えられる。
だとすると、人と物の区別ができなくなるのはコミュニケーションが失われていくことから始まるのではないか。相手への働きかけと応答が十分に認識できなくなり、やがて、そこに存在するものの役割的機能が識別できなくなる。そして自分のいる世界への対応が取れなくなっていくのだろう。それは瞬時に生じるわけではなく徐々に進行する。特に初期では症状が断続的に生じるので、それに気づいた時の絶望感は大きいだろう。その過程で周囲の理解がないと相手にされなくなり孤立を深め、プライドも傷つけられる。
認知症への理解がないと患者を孤立させ、どう生きていいかを分からなくさせる。認知機能やコミュニケーションが失われるといっても全くなくなるわけではない。その人の中ではその人独自の世界があり、そこを生きている。78歳の女性が18歳の自分を生きていることもあるという。それがその人の現実なので、その認識にそって共に生きることが孤立を防ぐ。認知症について理解を深め、共に生きる柔軟性が社会には求められるだろう。
サンプル答案(Gemini)
私たちは、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)からの情報や、過去の経験、学習を通して、人や物を区別している。視覚では、人の形や動き、表情、物体の形状や色などを認識し、聴覚では、人の声や物の音、触覚では、肌の質感や温度、硬さなどを感知する。これらの情報を総合的に判断し、それが人なのか物なのかを判断している。また、過去の経験から、人は動くことができ、感情を持ち、言葉を話すといった特徴があることを学習しており、これらの特徴に基づいて人であると認識している。
長崎さんのように、人と物を区別できなくなると、日常生活に様々な困難が生じる。例えば、人とのコミュニケーションがうまくいかず、孤立感や孤独感を抱くことがある。また、身の回りの物を適切に扱えなくなり、事故や怪我につながる可能性も高まる。さらに、自分の状態を理解できず、不安や混乱を感じ、精神的な苦痛を伴うこともある。
認知症は、高齢化社会の進展とともに増加傾向にある。しかし、認知症に対する理解は十分とは言えず、社会全体で認知症の人々が安心して暮らせる環境が整っているとは言えない。認知症の人々が抱える困難や苦しみは、社会の構造や価値観、医療や介護サービスの提供体制など、様々な要因が複雑に絡み合って生じていると考えられる。
長崎さんのように、人と物を区別できなくなることは、本人にとって大きな苦しみであり、周囲の人々にとっても対応が難しい状況である。認知症の人々が安心して暮らせる社会を実現するためには、私たち一人ひとりが認知症について正しく理解し、共生できる社会を築くことが重要だ。
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