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​演習1

​※コメントは生成&作成中です

【Aさん】 

 私は証拠やデータが不足する主観的な意見を切り捨てる状況は改善するべきであると考える。なぜなら、それらも全てエビデンスの一部になりうるものであり、感想も言えない世の中では根拠を疑う思考が放棄され、証拠が絶対的な世界になってしまうからである。 

 確かに筆者の言う通り、根拠やデータが無ければ自信を持って意思決定をすることすら出来ない。原因や背景を調査することで効率的な方法を見つけ出せ、多くの成功例が出れば、その方法は一般化し、全国で用いる事が出来るだろう。そこにはデータに対する人々の信頼と調査機関に対する信用が存在する。 

 だが、その信頼や信用は本当に正しいのだろうか。筆者は意思決定はデータがあっても不確実性が残るとも述べている。「特定の成功例を強調して宣伝されている治療法を選んで不幸な結果に終わった例」も挙げている。このことから完璧なエビデンスは存在せず、疑う必要があり、疑念を伝えるには現代人が切り捨てている客観的証拠に依拠しない主観的な意見が必須なのである。 

 もし証拠に基づいた意見しかなければ、その意見に対する違和感は全て感想となってしまい、どんなに自分勝手な意見も偽造されたデータがあればまかり通ってしまう。また、そもそもデータを集めるためには主観的な感想はかかせない。例えば治療法の効果や学力向上の有無などは経験した本人の感想無しでは不十分な根拠となってしまうだろう。 

 このことから私は、エビデンスに依拠しない主張も必要であり、蔑ろにしてはいけないと考えた。どんな意見もただ切り捨てるのではなく、可能性の一部として検討し直すべきだと考える。 

 

【Bさん】 

 私は、政策立案や評価において客観的証拠に依拠しすぎるあまり、そうでない意見を主観的であると排斥する風潮を見直すべきであると考える。確かに、客観的証拠には人意が介入せず誰もが平等に利益を享受できるという正当性が認められるが、それは主観的見解が弊害であることの理由にはならないからだ。主観的見解が役立つ場面も、逆に客観的証拠が使えない場面も多く存在する。 

 例えば、結論を出さなければならない論題が客観的資料に当てはめることのできない極端な事象である場合だ。本文に沿った医療分野で言えば、通常の医療では診断に至る事が困難な未診断疾患や進行が早すぎる癌などである。前例がないこれらの病気に、医師はデータを用いて治療することができない。客観的証拠はそもそも、多くのデータを集めることのできる頻繁な事象でしか役に立たないのだ。しかし、データがないことを理由に医師は患者を見捨てるだろうか。いやむしろ、自身の経験を活かし全力で治療法を模索するだろう。これは、紛れもなく医師の主観的な責任感に端を発するものである。 

 また、ひとえに医療分野と言っても、精神疾患での客観的証拠の汎用性は非常に低い。類似した症状を患っていても完全に一致した要因はほとんど存在しないし、原因が同じでもそのせいで生じた気持ちや感情の振れ幅は人それぞれであるからだ。医療分野では客観的証拠が絶対とは限らない。また主観的経験を基に患者に寄り添った臨機応変な診断を下すことが精神科医の本分だろう。 

 このように、客観的証拠にばかり拘らず人間の主観的見解を必要とする場面は日常的に溢れている。人と人との関わり合いが生活を豊かにする人間社会において、あえてAIにも可能なデータ解析に固執するのではなく、人間らしい個人的で多様な感情にもっと価値を見出すべきであると私は考えるし、それこそが人間がもつ不変の財産になるだろう。 

 

【Cさん】 

 本文が述べるように、データに基づく意思決定はある種合理的で重要とされている。不確実な将来について意思決定をする上で、今までの経験の集大成ともいえるデータは安全な選択をする際に大きな安心材料となる。しかし、この保守的な思考にはデメリットがある。 

 まず、データ化には標準化の作業が含まれている。数多くの今までの経験の蓄積を標準化したり、区分する中で、数少ない事例は省かれてしまいがちである。「普通ではない」データに潜む多様性や個性を無視してしまうのは、重大な成長機会の損失ではないだろうか。今までの慣例的施行やデータに基づかない新しい取り組みは危険性を孕む一方で、成功しても失敗しても得られる学びは膨大である。問題なのは、データに基づいた安全策に走るばかりで、革新的な企画について考える機会さえ失われてしまっている、ということだ。 

 また、満万が一何の論理も根拠もないただの感想だったとして、意味がないと言いきることはできない。介護をロボットに任せるべきか、という議題で、「人の暖かみが介護必要者の生きる活力に繋がると思う」という意見に対し、「思うってあなたの感想ですよね?ロボットによる正確な介護が身体的寿命の延長に直結することは火を見るより明らかです」という反論はズレている。 

 人間のアイデンティティの1つである「感情」をデータ化できないという理由で切り捨ててしまうのはあまりにもったいないと私は思う。過去の蓄積されたデータから最善策を導き出すことにおいてはAIの方が優れているだろう。そんな中で「人間同士」が議論する意義は、感情に振り回されつつ互いの価値観を共有し答えを探す過程にあると私は思う。 

 もちろん医療分野などでは感情論抜きに合理的なデータに頼るべきであろうが、「議論」の場においてデータの過大評価と感情の過小評価は問題視すべきである。 

<1>テウトとタモス

Aさんの解答

テウトは次のように反論した。「しかし、文字を学ぶことで、人々は記録を残すことができ、私たちの後の代まで語りつぐことができます。そのうえ、生活の知恵を書き記すことで後世での更なる発展が臨めます。」と。それに対し、タモスは次のように反論した。「文字を学べば、今まで記憶に頼っていた事も全て記録に頼るようになり、知能が低下する。また、文字をいち早く読めるようになった人々が、未学習者に対して暴君化し、人を騙すようなこともありえるだろう。それに、もし書いたものが無くなったらどうするつもりか。」と。テウトはタモスに対して更に反論した。「あなたは、文字として書き留めることで、知能が低下すると仰いましたが、私はそうは考えません。なぜなら、普段あまり使わない記憶を覚えていた分、脳にリソースを割けるからです。様々な知識を俯瞰的に見ることで、新たな発見や発想の転換が生まれる可能性があるからです。学習の格差についてはその通りかもしれません。しかし、対策を練ることで、格差は小さくなりますし、それ以上のメリットがあるとも考えています。最後の質問ですが、私はすべてを文字に頼るとは一言も言っておりません。細かな物事や伝えたい事、取引などを文字として残せばいいと言っているのです。」タモスは次のように答えた。「文字の推奨によって生じるメリット・デメリットを見極め、折衷案を一緒に考えようではないか。」と。

 

AIのコメント(ChatGPT)

テウトの反論は、文字を学ぶことで記録が残り、知識が後世に伝わるというポジティブな側面に焦点を当てていますが、タモスの主張に対する具体的な反論が欠けています。また、タモスの主張が指摘する問題点や懸念に対する適切な反論もありません。テウトは、文字の学習によって知能が向上し、脳にリソースが割かれると主張していますが、これについて詳細な説明や裏付けが欠如しています。更に、タモスが指摘した学習の格差や文字に頼ることの問題に対する具体的な対策についても触れられていません。最後に、タモスが提案した折衷案に対する反応や詳細な検討も見られません。全体として、より明確で具体的な反論と議論の展開が必要です。

 

人間のコメント

求められているのはタモスへの反論です。反論とは問題点を指摘することです。そのため、タモスの言葉のどこに、どのような問題点があるのかを指摘することが反論の中心です。「具体的な反論」を欠くというAIの指摘は的確です。その後もAIは次々に難点を指摘しますが概ね妥当です。ただ、字数が限られているので、これでは書き直しができません。タモスの言葉には二つの起点があります。いずれかに焦点を絞り、反論の主旨を明らかにすることが書き直しの第一歩です。これを複数の切り口で説明した上で、その中にタモスの再反論のポイントを設定する…以下に図示した流れ・論理を出題者は期待していると思われます。

<2>宗教と人類
 

Bさんの解答

多くの宗教は神や霊を祀り、それらを中心として語り合いその宗教が保持する本質や性質について考えを深めていくものだ。世界中の人々から進行されているキリスト教や仏教などもあれば、ある一部の地域でのみ信仰され続けている宗教など種類や信仰人数は様々である。しかし、全ての宗教は、何物かへの恐怖から生まれたということにおいては共通の事項である。大多数は死に対してであるが自然やそれらが起こす災害、もしくは特定の人々に対する恐怖心を和らげる為に、発案された理論であるだろう。剰え、人間は何かの集団に永久帰属したいという願望を常に持っている。ある宗教へ属することでその集団への永久帰属の権利を得て安心感が生まれるのだ。つまり、宗教は人類の精神安定の役割を果たしていることに帰結するだろう。長い歴史があり多数の支持者の精神安定となっている宗教は社会に大きな影響を及ぼす場合がある。オウム真理教の事件が分かりやすい一例であろう。宗教が過激化し他者に危害を与える例は世界の多くの場所で起こっている。この例から分かるように、宗教は人間と動物の大きな違いである思考を行い、人間を人間たらしめている脳まで支配され、危険な行為にまで及んでしまう危険性がある。この不利益な点を理解し、注意しながら、人々は宗教を学び多角的な視点を養い、人類の発展に繋げていくべきだ。 

 

AIのコメント(ChatGPT)

この解答は宗教の定義や影響に関する洞察がある一方で、いくつかの難点が見られます。まず、宗教の本質や起源に関する説明が一般的すぎて具体性に欠けています。また、宗教が人々の精神安定に果たす役割や影響についての説明が詳細に欠けており、特定の宗教が社会に与える影響に関する具体的な事例が少ないです。さらに、オウム真理教の事件を例に挙げることは適切ですが、他の宗教や地域における影響についても言及すべきでしょう。最後に、解答の結論部分がより具体的で明確な提案や示唆を欠いています。全体として、もう少し具体的な事例や詳細な説明を加えることで、解答をより充実させることができるでしょう。

 

人間のコメント

 人類にとって宗教とはいかなるものであるのか?と設問は問いかけています。これに対する答えが不鮮明な印象を与えます。「生死の苦痛や恐怖に対する安定剤」のように主旨を簡潔に表現しましょう。それができていないため説明の掘り上げを欠き、AIが指摘するように「具体性」を欠いた一般論に終始しててしまうのです。さらに「具体的な事例」も趣旨(例を通じて説明したいこと)が「危険性」にズレた印象を受けます。AIのコメントのようにアレコレ述べるのではなく、論述の軸を名各位するよう心がけてください。

<3>宇宙人の問い

Cさんの解答

  地球人は特定の集団に帰属することで、アイデンティティを確立し、自己の存在を確認することができます。しかし、地球人は地域によって言語や民族、性格が異なります。そこで、地球人という一つの括りにするのではなく、同じ言語、民族、性格の人々ごとの集団をつくることによって、その集団内における自己を強く認識することができます。 

 また、地球人は競争することを好みますが、これは、自分たちの承認欲求によるものです。国同士の競争、例えばスポーツや軍事開発競争、工業製品の開発競争等、何か他の集団よりも、自分たちの集団が勝っているものがある、または地球の中でトップクラスであると、自分はその当事者でなくとも、喜びを強く感じることができます。つまり、自分は優れた集団に属しているということを.他者に認めてもらおうとするのです。 

 これらによって、地球人は自己の存在の認識を同じ特性の他者が集まる集団の中で確認し、他の「国」との競争の中で、自己の承認欲求を満たすために、「国」という集団に分かれて暮らすことを好むのです。 

 

AIのコメント(ChatGPT)

  1. 説明不足: なぜ地球人が特定の集団に帰属することでアイデンティティを確立し、自己の存在を確認する必要があるのか、その背景や理由が不明瞭です。

  2. 難点: 地球人が自己の存在を確認するために競争する必要があるかどうか、またそれが国家という形での競争にどのように結びついているのかが論理的に説明されていません。また、他の集団との競争が自己の存在の認識を強化するメカニズムについても具体的な例や理論的な支持が不足しています。

 

人間のコメント

   AIの指摘は概ね的確ですが、なぜ説明不足や難点が生じるのかに言及していないので補足します。端的に言えば、論点や素材が過多です。思いついたことを次々に挙げていて、そこに字数を奪われています。アレコレ広げていくのではなく「アイデンティティ」や「承認要求」などの答え・キーワードを深めることに字数を使いましょう。特に重要なのは、AIも指摘する「アイデンティティ」と国家との関係の掘り下げです。こうした文脈を説明に注力することで、記述に厚みが出てくると思います。

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