演習3
【Aさん】
私は、ミニ・パブリックスに賛成だ。なぜなら、この方式は、現在の日本政府が行う偏った政策決定をくい止めることができるためだ。
今日の日本の政策は、高齢者、裕福層、そして男性にとって有利なものである傾向が強い。 この偏りは2つの原因により生じていると考える。1つ目は、議員が多様性に欠けていることだ。具体的には、女性率が極めて低いこと、また議員はある程度の収入があるため、貧困層がほとんどいないことが挙げられる。 議員に男性が多いのは明治時代からの慣習なので、女性議員を増やすには多くの時間が必要だろう。加えて、貧困層がほとんどいないことに関しても、議員が自らの給料を下げることを望むはずもないので、解決は難しい。2つ目は、若中年層の投票率が低いことだ。これは、高齢者向けの政策が多いことへの締めや、政治的関心の低下が原因だと考える。しかし、若中年層が政治に参加しない以上はこの問題は解決できない。
以上のことをふまえると、現在あまり政治的に優遇されていない、若中年層、貧困層、女性を政治へ参加させることで、現在の日本の偏った政策作成を防止できるが、現状実現は難しい。そこで、一般から無作為に選ばれた人による熟議が政策に反映される、ミニ・パブリックスが必要不可欠だ。よって私は、ミニ・パブリックスに賛成だ。
AIのコメント
1.具体的なミニ・パブリックスのメカニズムの説明: ミニ・パブリックスが具体的にどのように偏りを是正し、多様な視点を取り入れるのかについて、より具体的な説明が必要です。ミニ・パブリックスがどのようにして熟議し、その結果が政策決定にどのように反映されるのかを具体的に説明することが重要です。
2.ミニ・パブリックスの実施に伴う課題への対処: 貧困層や若中年層の政治参加促進が重要であることは認識されていますが、実際にミニ・パブリックスを実施するには、どのような課題が予想され、それらにどのように対処するかについての議論が不足しています。たとえば、参加者の多様性確保や意見形成の透明性の確保などが重要な課題です。
3.ミニ・パブリックスと代表制民主主義の関係: ミニ・パブリックスが代表制民主主義とどのように共存し、補完するのかについても議論が必要です。ミニ・パブリックスが単なる補完ではなく、より広範な政治参加と決定プロセスの一部としてどのように位置付けられるのかを明確にする必要があります。
4.実現可能性と時間的な視野: ミニ・パブリックスの実現には時間と努力が必要であり、現状の制度や文化的な枠組みとどのように調和させるのかについても議論が必要です。単に必要性を主張するだけでなく、実現に向けた具体的な戦略やステップが示されるとより説得力が増します。
人間/講師のコメント
政策決定の偏りという課題認識は良いです。しかし、AIが1で指摘するように、ミニ・パブリックスが偏りをどのように是正していくのか見えません。それは、偏りの原因分析に字数を費やしてしまったからです。こうした偏りに対するミニ・パブリックスの効果の説明に記述をさくべきでした。視点がよく分析も的確なのですが、ここを簡潔にまとめて、ミニ・パブリックスに関わる記述をもっと増やしましょう。主と従との関係を適切に見極めましょう。
【Bさん】
私は、「ミニ・パブリックス」は多くの有効性を含むと同時に危険性も含むと考える。
たしかに、「ミニ・パブリックス」は一般人の代弁者とされる代表者による決定を用いた代表制民主主義とは違い、一般人の意見が直接政治に反映されるので民主主義の実質化をより進めることができる。特に日本では最近政治家の腐敗が問題となっており、連日資金パーティの問題が各メディアで報道されている。また近年では若年層の政治への無関心も問題になっていて、投票率は下がり続ける一方である。こういった民主主義の理念が失われつつある日本の現状を踏まえると、一般人に、言ってしまえば強制的に政治に参加させ、政策を決めるというのは大いに有効なことであると言える。
しかし、一方で無作為に選ばれた一般人による制度的な裏付けのない政策決定というのは危険を含むと私は思う。例えば死刑制度の在り方や臓器移植の在り方などというのは、専門知識のない一般人が決定を下すにはあまりにも責任の伴うテーマである。少なくともその課題に関する専門家は作為的に選ぶ必要があるだろう。また、「ミニ・パブリック」の無作為性がかえって偏りを生む可能性も見逃すことはできない。
民主主義の崩壊を立て直す上で、「ミニ・パブリック」は一つの重大な打開策となり得る。課題はあれど長期的な視野で取り組むことを我々は求められているのだ。
AIのコメント
1.専門知識と一般市民の役割の明確化: 文中で示されているように、ミニ・パブリックスにおいては専門知識が必要な問題に対してどのように対応するのか、具体的なメカニズムや専門家の参加方法についての説明が不足しています。例えば、専門家としての意見をどのように取り入れ、一般市民とのバランスをどう取るのかが明確にされていない点です。
2.無作為性と偏りのリスクへの具体的な対策: 無作為に選ばれた参加者による偏りを防ぐための具体的な対策が示されていません。どのようにして参加者の多様性を確保し、公平な意思決定を促進するのかについての説明が必要です。
3.政策決定の透明性と信頼性の確保: ミニ・パブリックスが政策決定にどのように影響を与えるのか、そのプロセスの透明性や結果の信頼性についての説明が欠けています。一般市民の参加が政治の透明性を向上させる方法についての議論も必要です。
4.長期的視野と実現可能性: ミニ・パブリックスが民主主義の崩壊を防ぐ重要な手段であることは理解されていますが、具体的な実現可能性に向けた戦略や長期的な展望についての詳細な議論が欠けています。制度的な変革や文化的な障壁を乗り越えるための具体的な提案が求められます。
人間/講師のコメント
ミニ・パブリックスの有効性と危険性のどちらを優先すべきでしょうか?言うまでもなく後者ですよね。ところが、2段落「たしかに...」以降の記述が長く、主と従の見極めができていない印象を受けます。AIは指摘していませんが、このバランスの悪さが最大の課題です。有効性に関わる記述をもっと簡潔にまとめて字数の余裕を生み出せば、AIが指摘する内容の一部を反映させることもできます。なお、AIの指摘すべてに対応することは困難です。ここでも<選択と集中>の構えを大切にしてください。
【Cさん】
私はこのミニ・パブリックスの方法は、民主主義の国にとって市民の意見を活かすことができる良い方法であると考えた。
代表制民主主義の問題点として市民の代表しか行政の政策の意見を直接言えず、本当の民主主義とは少し相違がある点だ。しかしミニ・パブリックスを取り入れることで一般の市民の意見を反映することができ、本格的な民主主義へと少し近付くこととなる。また、ミニ・パブリックスは一般から無作為に選ばれ、国の政策に市民が関われるということもあり、市民の政治への関心が上昇することが期待できる。これは現在、問題となっている選挙の投票率の増加にも繋がるだろう。
これに対して、ミニ・パブリックスを行うことにより行政・司法・立法の三権分立において行政にだけ市民が直接関わることとなり、三権分立が保たれないのではないかという反論が予想される。しかし、司法においても裁判員裁判制度により市民が直接、司法と関わっておりまたミニ・パブリックスにおいては確かに、市民会議のもと国や自治体の政策決定に結びつく形で意見を述べることはできるが、その意見を採用するかどうか、どのような形で政策に取り入れるかは政治家が決定するため、間接的と直接的の間ぐらいの立場であり、三権分立が崩れるとは言い難い。
このことからミニ・パブリックスは良いと感じた。
AIのコメント
1.政策決定への具体的な影響の説明: 文章中では、ミニ・パブリックスが政策にどのように影響を与えるかについての具体的な例やメカニズムが不足しています。一般市民の意見がどのように政策決定に反映されるのか、そのプロセスがどのように進行するのかを詳細に説明することが必要です。
2.三権分立との関係についての深掘り: ミニ・パブリックスが三権分立にどのように影響するのかについて、より具体的な考察が必要です。例えば、行政と立法の間でのバランスや、政策決定の透明性と司法の役割との関係性についても考察する必要があります。
3.反対意見への対応: 反対意見やミニ・パブリックスの潜在的な課題に対して、より深い理解と対応策を示す必要があります。例えば、市民の無作為選出がもたらす偏りや、専門知識の不足による問題などにどう対処するかが重要です。
4.長期的な視野と実現可能性: ミニ・パブリックスが長期的にどのように民主主義を強化し、実現可能性を持つのかについての議論が不足しています。制度化の可能性や文化的な適応に向けた具体的な提案が求められます。
人間/講師のコメント
判断→理由→異論→反論という全体の論理はしっかりしています。しかし、内容に気になる点があります。たとえば、ミニ・パブリクスの効果をあげた2段落の記述は理由説明を欠いています。なぜ、このような効果を期待できるのか掘り下げた説明が必要です。そして、もっとも気になるのが3段落の異論です。「三権分立」という視点はユニークですが、もっとわかりやすい異論を選択すべきでした。説明が容易ではなく反論を挙げたため、AIも考察不足を指摘したように思われます。異論は反論を引き出すきっかけでしかないので、もっとシンプルに差し込むようにしましょう。
小テスト3
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【Aさん】
私は自殺幇助の犯罪が撲滅される為にも、安楽死を合法化する必要があると考える。自殺の手助けを合法化してしまうと、殺人事件でさえも自殺だとして揉み消されてしまう恐れがあるし、 いくら当人が自殺を望もうとも、前述のようなリスクを未然に防ぐ目的も込めて自殺幇助は犯罪のままで良いと思う。一方で、余命わずかの人が、心身ともに疲弊し切ってしまう延命治療を受けるのは苦痛であるし、自ら命を絶ちたいと思ってしまう事は同情の余地があると思う。自殺願望の理由がいくら希薄に思えたとしても、本人が望むなら安楽死は認められて然るべきだと思う。しかし安楽死を合法化すると、安楽死を選ぶ人が大量発生してしまう可能性も無視できない。その為、安楽死を合法化するのならば本人の意見だけでなく親族の承諾を必要とするのは勿論、病状がどれほど深刻なら安楽死を認めてよいか等の基準を設ける必要があると思う。一部の他国で認められていても、日本では安楽死が認められない現状は、望む人からしてみれば苦であると思うし、可能な限り早く安楽死を認めるべきだと思う。言わずもがな、自殺志願者が発生しない国となるのが理想だが、自殺願望を抱く主要因である病気をこの世からなくすのは現実的に不可能であるし、安楽死は可決されるべきだ。
【Bさん】
日本で自殺の手助けが犯罪になることは改正するべきだ。ただし改正するにあたって医師の許可や監視(関与?)で 自殺する場合だけだ。なぜならインターネットの普及により誰とでもコミュニケーションがとれるようになった。便利ではあるがその反面、誹謗中傷が原因で自殺するケースがあった。要するにこのような手段で相手を誘導し、自殺に持ち込む場合が許されることになる。そのため治る見込みのない重病患者が自殺を望んで、医師の援助 を受けることが困難な場合は許可するのみの法律を制定するべきだ。確かに医師が正しい判断をせず、意図的に良くない判断することも考えられる。例えば治る見込みがあるのに自殺させる場合、患者に親しい人が医師と協力して自殺に追い込む場合など本心でもないのに自殺させることも可能になる。しかし先例のようなことを想定して法律を作るべきだ。例えば一定の範囲で自殺を援助する行為が認められている国を参考にする。スイスでは、「判断能力があり、利己的な動機を持たない」という条件で裁判所の許可により 医師から処方された薬物により安楽死が可能となる。スイスの法律は日本の現状に合っているので参考になる。むしろこのように改正をすることで日本で問題視されている高齢化社会を解決に導くかもしれない。なぜなら日本では医療に対する税金がかかりすぎているため。
小テスト2
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<4>AIと仕事
【Aさん】
犯罪において未解決事件や未だ逮捕にいたっていない事件は日本に多く存在する。
この事項を解決するそして予防することにおいても、AIの画像や映像から情報を抽出し、 識別や分類を行うことができる点は大いに活用できる。
監視カメラを増やすことによるデータの増大化とAIの高度な映像解析技術を組み合わせることで犯罪の加害者の迅速な特定や過去の事件の解決の糸口がAIによって発見できる可能性がある。 剰え、監視カメラの増加とAIの高度化により犯罪の予防にもつながるだろう。
しかし、これらに対し個人のプライバシーが守られていないという反論が考えられる。確かにプライバシーに関しては尊重されるべきであり、譬えばコロナ禍においては己の個人情報である感染データを政府に提出することに対し否定的意見が多く挙がった。しかし、監視カメラにおいては犯罪解決の手段においてのみ使用するという規則を厳しく設けることで、常にカメラに見られているという意識は残るかもしれないがそれが犯罪防止につながり、 そして犯罪に関することでのみ使用されるので、プライバシーは守られるだろう。
このように、AIを犯罪の解決のために使うことにより日本がより安全で安心できる社会へとなっていくのだ。
【Bさん】
私はAIを、今日の日本における、裁判官不足を補う手段として活用できると考える。
今日の日本の裁判官は減少の一途を辿り、特に若い裁判官の退官が問題となっている。一人の裁判官あたりにかかる負担は大きく、このままでは裁判の質が下がりかねない。そこでAIを利用することで、裁判官不足を解決できるのではないかと思う。
まずAIにはこれまでのすべての法律と判例を学習させる。新しい法律が規定された場合は、実際の判例が出るまで学習させないようにする。そして、このAIを、軽犯罪や、一定額以下で地方裁判所、簡易裁判所で行われる民事訴訟で裁判官の代わりに判決を出せるようにし、 高等裁判所以上では全て裁判官によって裁判が取り行われるようにする。加えて、AIには、高等裁判所以上の裁判官の争点整理などの事務作業の補助も担わせ、 全体的な裁判官の負担を減らすことが期待できる。
AIの欠点として、倫理的な判断が苦手であるということが挙げられるが、倫理的判断が伴うであろう、離婚争議や、少年犯罪、刑事的、政治的な重大事件に関しては、 AIを直接関与させず、あくまでも裁判官の手によって判断が下されるようにすることで、倫理的な解釈に関する問題はクリアされると思う。
以上より、AIを司法に導入することで、裁判官の負担を解消し、時短効果と裁判の質向上が期待される。
<6>「エスキモー」の話
【Aさん】
数字に信をおき、当事者の話を無用なものとして退ける考え方は、日本の貧困問題でよくみられる。現在、日本の貧困率は世界の中では低い方だが、貧困の定義を満たさずとも貧困層と同じくらい苦しい生活を強いられている人は国内に多く存在している。数値上の割合が低いからといって、今日を生き抜くことに精一杯な人々の貧しい現状を蔑ろにして良いのだろうか。 確かに、特定の規則に従って国民の生活を数値化することは問題の可視化に繋がり、より優先度の高いものから解決に着手したり、国民の納得が得やすい政策を進めることができる。実際、政府は貧困問題をそこまで重視していないので、地球温暖化防止や男女平等の実現に向けた政策ばかり行っている。
しかし、数値で区切られた貧困層の数はあくまで数字のみで判断した結果に過ぎず、貧困の背景や原因、現状を正しく反映しているとは言えない。貧困層に分類されていない片親家庭や大家族が、皆十分幸せに暮らしているなどを数値だけを見て決めつけるのは浅慮である。
このように、数値では測れない事情を、現代社会に生きる一人一人が抱えている。それらを見過ごし、大衆に迎合した政策ばかり進めることは、真に万人が生きやすい社会の実現を妨げるのではないだろうか。
【Bさん】
本文では、数字は無謀な開発に対抗する為の説得手段として用いられている一方、統計数字が野生動物の生態の複雑さを隠してしまうという問題点も挙げられている。
この統計数字に信をおく考え方には他にも問題点がある。「A、Bという2つの村があり、集会参加の同意率について、A村では70%だったのに対し、B村では30%だった。この2つの村の違いは何か?」という問題は有名であるが、正解は、「集会に参加しますか?」と「集会に参加しませんか?」という聞き方の違いである。
ここまで極端にはいかなくとも、聞き方や質問の形式によって回答者が想像する出題者の意図は異なり、 その潜在意識や外的な要因により人々の意見は左右されやすい。そんな不安定な回答のデータ統計が絶対的信頼に値するだろうか。注目すべきは回答自体ではなく、なぜそう思ったのかという過程であり、そこには数字には反映できない環境や状況、価値観や歴史、情緒や感情など人間として生きる上で重要視すべき要素が多くある。数字のメリットは明確で根拠も分かりやすい点にあるが、盲目的な信仰は本質の見過ごしに繋がってしまう。分かりやすいという単純な理由で数字を信とするのではなく、背景事情を考慮し吟味できる、という人間の能力を活用した社会を目指すべきである。
演習2
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【Aさん】
問1
カルヴィン派の人々は予定説に基づき、資本主義を興した原動力である金儲けを、神に選ばれた人間であることを立証する場と捕えている。また、既に十分な資産があるのに働き続けるという伝統社会の引力圏を逸脱した思考や、人間同士の繋がりを重要としない社会の「孤独性」ゆえ、共同体の相互援助の考えを失った結果、貯蓄を大切にする文化となったその過程に、宗教は深く関わってきた。今までの伝統的社会的規範や習慣から、自らの存在を示すために孤独に貯蓄を重ね資本を増やすという資本主義的価値観への移行には、カルヴィンなど宗教的教義や価値観が動機とされてきたという文化的関連がある。
問2
本文でも述べられているように、昔は日本でも共同体の相互援助という社会関係の絆が根付いていたが、そのような伝統的社会的規範とはうって変わって、現代の日本社会は資本主義を貫いている。カルヴィニズムと資本主義には文化的関連があったが、日本が資本主義に移行する起因は何だったのだろうか。まず孤独性という面で考えると敗戦という歴史が影響を与えているように感じられる。誰かを頼れないという厳しい環境が孤立と貯蓄の考えを導いたのではないか。そして、個人で生きることを強制された結果、誰かより優れていたいという承認欲求が生まれ競争社会となり、資本を蓄えている人が幸せで尊敬されるべきという盲目的社会信仰が広がり資本主義が確立したと考察できる。カルヴィニズム同様、人々の意識によって経済体系が左右されるのは不安定であるが、相互扶助を基盤とする保守的な半社会主義体制よりも個人主義で革新的な資本主義の方が競争意識が増し経済は活生化する。
現代の経済社会は不安定で下降気味であると、ニュースでよく耳にするが、この変化にも人々の意識や価値観の変化が影響している訳で、これは需要という人々の欲求を基盤にしたビジネス原理を考慮すると必然である。
国家的に重要な宗教が定められていない日本において本文のように、人々の価値観と経済を直接結び付けることは難しいが、重大な意味を持つ考察となるだろう。
【Bさん】
問1
カルヴィニズムの倹約・勤勉の精神が資本主義の土台となったとされているが実際は違う。カルヴィニストは生まれながら死後の世界が神によって定められているとしその中の少数の選ばれた人々は幸運を与えられると考えていた。なので彼らにとってビジネスの場は大金を得るためでなく成功して自分や周囲に少数側の人間と立証するための場であった。また、地獄へ落ちる者と魂を触れ合わせるべきでないため伝統社会にある濃密な共同体は壊れ社会全体が孤独な群衆となり、彼らは生きるために貯蓄を始めた。これほどまで想像を絶する教義を持つ信仰や抑圧的な社会が結果的に資本主義を興したのだ。
問2
この主張が経済社会を考える上で持つ意味は、一個人の力の影響を念頭に置くべきということだと考える。カルヴィニズムの教義は狂信的とも思えるがその時代の社会では一般的であり、その一連の流れが資本主義を興した。宗教というものは元は一個人の信仰である。各々が心中で考えて信じるものである。しかしいつからか同じ思想を持つ者らが集まり共同体を作っていく。それらは段々と大きくなりより大きな社会の波をつくっていく。この構造は実は経済社会も同じなのではないか。元は一個人の行動だが、それらが群れて同じ行動をしたりあるいは対立した行動をし競争を行ったりし大きな社会の波を作っていく。宗教とは一人一人の思想であり、その思想に基づく行動は誰かの思想に影響を与えそれによりまた行動する。このように多くの人と影響し合い、され合うことで社会が動いていくことを念頭に置くべきだと考える。宗教の力の影響というと大多数の集団の影響のように捉えてしまうが、私はこの筆者の主張はそこでないと考える。あくまで一人一人の行動が経済社会へ与える影響に焦点を当てることに意味があると考えた。
【Cさん】
問1
カルヴィニズムの教義の一つである「予定説」によって、彼らはビジネスの場を神に選ばれた者だという証明の為に利用し、金を稼ぐことで証拠とした。金儲けの追求によって資本主義は興ったが、彼らにとっての金儲けは金自体のためではなく想像を絶する教義を持つ信仰のためであった。また、「孤独性」という特性は友情という価値を否定し、神と自分の関係が全てだという考えを持つ。それゆえ、社会的関係の絆は希薄化して切れ、社会全体が孤独な群衆になり、貯金という習慣が不可欠となる。資本主義社会と伝統社会の文化的衝突は避けることが難しく、伝統社会から抜け出すにも宗教的動機が必要であるので、宗教的な力の影響は無視できない。
問2
私は著者の宗教的な力の影響は無視できないという主張に賛成する。
日本は無宗教の人が多いが、大半の国の人々は宗教を信仰している。よって、善行をしたり、お告げを守ることで神への信仰を体現している。彼らの日々の生活にも宗教は根深く絡んでおり、食事の制限は私たちも目の当たりにしたことがあるだろう。代々、その宗教を信仰してきた彼らにとって、考え方に反する行動はできないであろう。なので、効率が上がるので生産も2倍になると考える人たちと、効率が上がるので時間が半分になり、後の半分の時間は享楽に使おうとする人たちがいる。無理矢理、2倍の生産量を生み出すことを求めた所で、根本の考え方が違うので、反発が起きるのは目に見えている。なので、お互いの宗教観・倫理観を認知し合い、両者の最善を尽くす必要があると考える。
現代の経済社会において、社会全体の「安全」「自由」「平等」を維持するためには、宗教の力が必要である。人々をつなぎ合わせ、統合し、一人一人に価値を与える宗教は、生きていく上で大事な指針になる上に、経済社会でも必要とされている。しかし、教えによって考え方の差異が生まれるので衝突の可能性は否めない。その差異をお互いに認知し合うことが、現代の経済社会において大事なことであると私は考える。
演習1
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【Aさん】
私は証拠やデータが不足する主観的な意見を切り捨てる状況は改善するべきであると考える。なぜなら、それらも全てエビデンスの一部になりうるものであり、感想も言えない世の中では根拠を疑う思考が放棄され、証拠が絶対的な世界になってしまうからである。
確かに筆者の言う通り、根拠やデータが無ければ自信を持って意思決定をすることすら出来ない。原因や背景を調査することで効率的な方法を見つけ出せ、多くの成功例が出れば、その方法は一般化し、全国で用いる事が出来るだろう。そこにはデータに対する人々の信頼と調査機関に対する信用が存在する。
だが、その信頼や信用は本当に正しいのだろうか。筆者は意思決定はデータがあっても不確実性が残るとも述べている。「特定の成功例を強調して宣伝されている治療法を選んで不幸な結果に終わった例」も挙げている。このことから完璧なエビデンスは存在せず、疑う必要があり、疑念を伝えるには現代人が切り捨てている客観的証拠に依拠しない主観的な意見が必須なのである。
もし証拠に基づいた意見しかなければ、その意見に対する違和感は全て感想となってしまい、どんなに自分勝手な意見も偽造されたデータがあればまかり通ってしまう。また、そもそもデータを集めるためには主観的な感想はかかせない。例えば治療法の効果や学力向上の有無などは経験した本人の感想無しでは不十分な根拠となってしまうだろう。
このことから私は、エビデンスに依拠しない主張も必要であり、蔑ろにしてはいけないと考えた。どんな意見もただ切り捨てるのではなく、可能性の一部として検討し直すべきだと考える。
【Bさん】
私は、政策立案や評価において客観的証拠に依拠しすぎるあまり、そうでない意見を主観的であると排斥する風潮を見直すべきであると考える。確かに、客観的証拠には人意が介入せず誰もが平等に利益を享受できるという正当性が認められるが、それは主観的見解が弊害であることの理由にはならないからだ。主観的見解が役立つ場面も、逆に客観的証拠が使えない場面も多く存在する。
例えば、結論を出さなければならない論題が客観的資料に当てはめることのできない極端な事象である場合だ。本文に沿った医療分野で言えば、通常の医療では診断に至る事が困難な未診断疾患や進行が早すぎる癌などである。前例がないこれらの病気に、医師はデータを用いて治療することができない。客観的証拠はそもそも、多くのデータを集めることのできる頻繁な事象でしか役に立たないのだ。しかし、データがないことを理由に医師は患者を見捨てるだろうか。いやむしろ、自身の経験を活かし全力で治療法を模索するだろう。これは、紛れもなく医師の主観的な責任感に端を発するものである。
また、ひとえに医療分野と言っても、精神疾患での客観的証拠の汎用性は非常に低い。類似した症状を患っていても完全に一致した要因はほとんど存在しないし、原因が同じでもそのせいで生じた気持ちや感情の振れ幅は人それぞれであるからだ。医療分野では客観的証拠が絶対とは限らない。また主観的経験を基に患者に寄り添った臨機応変な診断を下すことが精神科医の本分だろう。
このように、客観的証拠にばかり拘らず人間の主観的見解を必要とする場面は日常的に溢れている。人と人との関わり合いが生活を豊かにする人間社会において、あえてAIにも可能なデータ解析に固執するのではなく、人間らしい個人的で多様な感情にもっと価値を見出すべきであると私は考えるし、それこそが人間がもつ不変の財産になるだろう。
【Cさん】
本文が述べるように、データに基づく意思決定はある種合理的で重要とされている。不確実な将来について意思決定をする上で、今までの経験の集大成ともいえるデータは安全な選択をする際に大きな安心材料となる。しかし、この保守的な思考にはデメリットがある。
まず、データ化には標準化の作業が含まれている。数多くの今までの経験の蓄積を標準化したり、区分する中で、数少ない事例は省かれてしまいがちである。「普通ではない」データに潜む多様性や個性を無視してしまうのは、重大な成長機会の損失ではないだろうか。今までの慣例的施行やデータに基づかない新しい取り組みは危険性を孕む一方で、成功しても失敗しても得られる学びは膨大である。問題なのは、データに基づいた安全策に走るばかりで、革新的な企画について考える機会さえ失われてしまっている、ということだ。
また、満万が一何の論理も根拠もないただの感想だったとして、意味がないと言いきることはできない。介護をロボットに任せるべきか、という議題で、「人の暖かみが介護必要者の生きる活力に繋がると思う」という意見に対し、「思うってあなたの感想ですよね?ロボットによる正確な介護が身体的寿命の延長に直結することは火を見るより明らかです」という反論はズレている。
人間のアイデンティティの1つである「感情」をデータ化できないという理由で切り捨ててしまうのはあまりにもったいないと私は思う。過去の蓄積されたデータから最善策を導き出すことにおいてはAIの方が優れているだろう。そんな中で「人間同士」が議論する意義は、感情に振り回されつつ互いの価値観を共有し答えを探す過程にあると私は思う。
もちろん医療分野などでは感情論抜きに合理的なデータに頼るべきであろうが、「議論」の場においてデータの過大評価と感情の過小評価は問題視すべきである。
<1>テウトとタモス
Aさんの解答
テウトは次のように反論した。「しかし、文字を学ぶことで、人々は記録を残すことができ、私たちの後の代まで語りつぐことができます。そのうえ、生活の知恵を書き記すことで後世での更なる発展が臨めます。」と。それに対し、タモスは次のように反論した。「文字を学べば、今まで記憶に頼っていた事も全て記録に頼るようになり、知能が低下する。また、文字をいち早く読めるようになった人々が、未学習者に対して暴君化し、人を騙すようなこともありえるだろう。それに、もし書いたものが無くなったらどうするつもりか。」と。テウトはタモスに対して更に反論した。「あなたは、文字として書き留めることで、知能が低下すると仰いましたが、私はそうは考えません。なぜなら、普段あまり使わない記憶を覚えていた分、脳にリソースを割けるからです。様々な知識を俯瞰的に見ることで、新たな発見や発想の転換が生まれる可能性があるからです。学習の格差についてはその通りかもしれません。しかし、対策を練ることで、格差は小さくなりますし、それ以上のメリットがあるとも考えています。最後の質問ですが、私はすべてを文字に頼るとは一言も言っておりません。細かな物事や伝えたい事、取引などを文字として残せばいいと言っているのです。」タモスは次のように答えた。「文字の推奨によって生じるメリット・デメリットを見極め、折衷案を一緒に考えようではないか。」と。
AIのコメント(ChatGPT)
テウトの反論は、文字を学ぶことで記録が残り、知識が後世に伝わるというポジティブな側面に焦点を当てていますが、タモスの主張に対する具体的な反論が欠けています。また、タモスの主張が指摘する問題点や懸念に対する適切な反論もありません。テウトは、文字の学習によって知能が向上し、脳にリソースが割かれると主張していますが、これについて詳細な説明や裏付けが欠如しています。更に、タモスが指摘した学習の格差や文字に頼ることの問題に対する具体的な対策についても触れられていません。最後に、タモスが提案した折衷案に対する反応や詳細な検討も見られません。全体として、より明確で具体的な反論と議論の展開が必要です。
人間のコメント
求められているのはタモスへの反論です。反論とは問題点を指摘することです。そのため、タモスの言葉のどこに、どのような問題点があるのかを指摘することが反論の中心です。「具体的な反論」を欠くというAIの指摘は的確です。その後もAIは次々に難点を指摘しますが概ね妥当です。ただ、字数が限られているので、これでは書き直しができません。タモスの言葉には二つの起点があります。いずれかに焦点を絞り、反論の主旨を明らかにすることが書き直しの第一歩です。これを複数の切り口で説明した上で、その中にタモスの再反論のポイントを設定する…以下に図示した流れ・論理を出題者は期待していると思われます。
<2>宗教と人類
Bさんの解答
多くの宗教は神や霊を祀り、それらを中心として語り合いその宗教が保持する本質や性質について考えを深めていくものだ。世界中の人々から進行されているキリスト教や仏教などもあれば、ある一部の地域でのみ信仰され続けている宗教など種類や信仰人数は様々である。しかし、全ての宗教は、何物かへの恐怖から生まれたということにおいては共通の事項である。大多数は死に対してであるが自然やそれらが起こす災害、もしくは特定の人々に対する恐怖心を和らげる為に、発案された理論であるだろう。剰え、人間は何かの集団に永久帰属したいという願望を常に持っている。ある宗教へ属することでその集団への永久帰属の権利を得て安心感が生まれるのだ。つまり、宗教は人類の精神安定の役割を果たしていることに帰結するだろう。長い歴史があり多数の支持者の精神安定となっている宗教は社会に大きな影響を及ぼす場合がある。オウム真理教の事件が分かりやすい一例であろう。宗教が過激化し他者に危害を与える例は世界の多くの場所で起こっている。この例から分かるように、宗教は人間と動物の大きな違いである思考を行い、人間を人間たらしめている脳まで支配され、危険な行為にまで及んでしまう危険性がある。この不利益な点を理解し、注意しながら、人々は宗教を学び多角的な視点を養い、人類の発展に繋げていくべきだ。
AIのコメント(ChatGPT)
この解答は宗教の定義や影響に関する洞察がある一方で、いくつかの難点が見られます。まず、宗教の本質や起源に関する説明が一般的すぎて具体性に欠けています。また、宗教が人々の精神安定に果たす役割や影響についての説明が詳細に欠けており、特定の宗教が社会に与える影響に関する具体的な事例が少ないです。さらに、オウム真理教の事件を例に挙げることは適切ですが、他の宗教や地域における影響についても言及すべきでしょう。最後に、解答の結論部分がより具体的で明確な提案や示唆を欠いています。全体として、もう少し具体的な事例や詳細な説明を加えることで、解答をより充実させることができるでしょう。
人間のコメント
人類にとって宗教とはいかなるものであるのか?と設問は問いかけています。これに対する答えが不鮮明な印象を与えます。「生死の苦痛や恐怖に対する安定剤」のように主旨を簡潔に表現しましょう。それができていないため説明の掘り上げを欠き、AIが指摘するように「具体性」を欠いた一般論に終始しててしまうのです。さらに「具体的な事例」も趣旨(例を通じて説明したいこと)が「危険性」にズレた印象を受けます。AIのコメントのようにアレコレ述べるのではなく、論述の軸を名各位するよう心がけてください。
<3>宇宙人の問い
Cさんの解答
地球人は特定の集団に帰属することで、アイデンティティを確立し、自己の存在を確認することができます。しかし、地球人は地域によって言語や民族、性格が異なります。そこで、地球人という一つの括りにするのではなく、同じ言語、民族、性格の人々ごとの集団をつくることによって、その集団内における自己を強く認識することができます。
また、地球人は競争することを好みますが、これは、自分たちの承認欲求によるものです。国同士の競争、例えばスポーツや軍事開発競争、工業製品の開発競争等、何か他の集団よりも、自分たちの集団が勝っているものがある、または地球の中でトップクラスであると、自分はその当事者でなくとも、喜びを強く感じることができます。つまり、自分は優れた集団に属しているということを.他者に認めてもらおうとするのです。
これらによって、地球人は自己の存在の認識を同じ特性の他者が集まる集団の中で確認し、他の「国」との競争の中で、自己の承認欲求を満たすために、「国」という集団に分かれて暮らすことを好むのです。
AIのコメント(ChatGPT)
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説明不足: なぜ地球人が特定の集団に帰属することでアイデンティティを確立し、自己の存在を確認する必要があるのか、その背景や理由が不明瞭です。
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難点: 地球人が自己の存在を確認するために競争する必要があるかどうか、またそれが国家という形での競争にどのように結びついているのかが論理的に説明されていません。また、他の集団との競争が自己の存在の認識を強化するメカニズムについても具体的な例や理論的な支持が不足しています。
人間のコメント
AIの指摘は概ね的確ですが、なぜ説明不足や難点が生じるのかに言及していないので補足します。端的に言えば、論点や素材が過多です。思いついたことを次々に挙げていて、そこに字数を奪われています。アレコレ広げていくのではなく「アイデンティティ」や「承認要求」などの答え・キーワードを深めることに字数を使いましょう。特に重要なのは、AIも指摘する「アイデンティティ」と国家との関係の掘り下げです。こうした文脈を説明に注力することで、記述に厚みが出てくると思います。