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札幌医科大学の
小論文

2024年:AIの利点と問題点​

 

問1 下線部「AIは人間がかかわりにくいような問題を解決してくれる」について、著者が述べている事を要約しなさい。(200字以内)

問2 AI技術の発展による利点と問題点について本文の中で述べられている以外の例をあげ、自分の考えを述べなさい。(400字以内)

 

‥‥‥AI技術の発展により、10年ほど前には人間にしかできなかった画像認識、音声認識、文章認識が機械にもできるようになり、数多くの応用を生み出しています。‥‥‥カメラに写っている顔と社員証の顔が同一人物かどうか調べたり、話した内容を文字起こししたりするなど、その一つ一つは私たち人間にとっては簡単にできる仕事が多かったと感じる読者も多いかもしれません。

しかし、やがてAIは人間がかかわりにくいような問題を解決してくれるようになる可能性もあります。その試みを紹介しましょう。

エイベックスでは日本マイクロソフトと協力して、コンサートやライブでのたくさんの観客の顔画像から観客の満足度を数値化する試みを行っています。こういうことはAIを使わなくても、アンケートをとれば観客の満足度を調べることはできると思うかもしれませんが、アンケートでは高い回答率は期待できません。またアンケートに答えるのに面倒なので手を抜いて回答したり、帰宅後などに回答した場合だとその場の印象が薄らいでいるということもありそうです。

ライブでの瞬間の観客の様子から、満足度を自動で数値化できれば、アンケートよりも正確に盛り上がり度合いを評価できるとも考えられます。さらに将来的には、観客の盛り上がり状況に応じてその場でライブの楽曲の順番を変更したりできるようになるかもしれません。また,この技術はテレビ番組やインターネット動画の評価にも応用可能です。

カメラで顔を撮って、AIがその表情や向き、体の動きなどから,その人の集中度を評価しようとする試みもあります。このようなソフトは塾や語学学校などで導入することが検討されているようです。人間にもそのような推測はできるものの、人が他の人の顔をのぞき込んだり評価したりすると角が立ちます。機械による自動判定なら受け入れられやすいかもしれません。ただしこういうAIが会社や職場に導入されると、行動を監視される、ということにつながりかねないので、そういう視点からの検討が必要になります。

このような方向以外にも研究開発は進んでいます。例えば、ソーシャルメディア(ツイッター、フェイスブックなど)の投稿内容を文章認識型AIで分析することで、ユーザー(投稿者)の精神状態を推定しようという試みもあります。これも人間がある程度できることですが、AIを使うと、ユーザーのうつ状態や自殺願望を持っていることを検出できるという報告があります。「この文章には作者の人柄がにじみ出ている」と言われることもありますが、AIが文章から人間の心を読むことができるのでしょうか? 今後のさらなる研究の進展が待たれます。

 

(中略)

AIが書類を作成する時代が始まったとすると、便利になることも多いでしょうが、いろいろ問題も生まれそうです。どういう問題が起こりそうか、想像してみましょう。まず剽窃"(1)や著作権の問題が考えられます。

大学などでは現在も、本やウェブサイトにある文章をそのままレポート課題にコピペ(コピー&ペースト)して提出する学生が問題になっており、それを検知するAIが開発されたりしています。ところが作文AIは毎回異なった文章を生み出せますので、学生がそれを使えるようになると、レポートを本人が書いたかどうかを判定することが難しくなりそうです。私たちは「書物やホームページなどは参考としても良いが、作文は自分で考えて作るものである」という教育を受けてきましたが、作文AIが普及するとこのような価値観も変わってくるのかもしれません。

AIが文書を作成し始めると、その著作権はどうなるでしょうか? 著作権は著作物(文学や美術、音楽などの作品)が第三者に無断で利用されることがないよう、著作者の権利を保護するものです。仮に作家が作文AIを使って下書きさせて、それをもとに小説を書いて発表したとしましょう。作家の手直しが主で、AIを道具として創作したとみなせる場合には、その小説はその作家の著作物となります。ところが、手直しが軽微なもので、AIが制作したとみなされる場合には、現在の法律ではその小説は著作物には当たらず著作権も発生しないことになってしまうそうです。

現状では、AIによって制作されたコンテンツ(作品)は法律的には保護されず、第三者が無料で利用できることになって、AIの開発者やコンテンツを作成しようとした人の苦労は報われないことになってしまいます。このため、AIの著作物やコンテンツの権利についての法整備を議論する必要が出てくるかもしれません。

(小林亮太·篠本滋著、甘利俊一監修『A1新生 人工知能と人類の行方』、文春新書、2020年より抜粋、一部改変)

脚注

(1)剽窃:(「剽」は、かすめる意)他人の詩歌・文章などの文句または説をぬすみ取って、自分のものとして発表すること。「他人の論文を〜する」(新村出編、広辞苑第七版、岩波書店)

 

<サンプル答案>

 

問1

著者は、AIが人間にとって難しい問題を解決する可能性を示しています。具体的には、エイベックスが日本マイクロソフトと協力して、ライブの観客の満足度を顔画像から数値化する試みを紹介しています。この方法はアンケートよりも正確で、将来的にはライブの進行をリアルタイムで調整することも可能になるとされています。また、塾や語学学校での集中度の評価や、ソーシャルメディアの投稿内容からユーザーの精神状態を推測する試みも例示されています。

 

問2

AI技術は、人間がかかわりにくい問題を解決する新たな可能性を広げています。例えば、災害時の救助活動において、AI搭載のドローンやロボットが被災地の状況を迅速に把握し、人命救助に貢献することが期待されています。これにより、人間が立ち入れない危険な地域でも効率的に活動が行えるようになります。

一方で、AIの活用には問題点も伴います。災害現場でのAIの誤作動や誤判断が発生すると、救助活動が遅れるリスクがあります。また、AIが収集したデータの管理やプライバシー保護の問題も重要です。被災者のプライバシーを尊重しつつ、正確で迅速な情報提供を実現するための法整備が求められます。

さらに、AIが犯罪予防に利用される例も挙げられます。防犯カメラと連携したAIが不審な行動を検知し、警察に通報するシステムは、犯罪抑止に効果的です。しかし、これにより個人の行動が常に監視されることになり、プライバシーの侵害が懸念されます。

これらの例を踏まえると、AI技術の導入にはその利点を最大限に活かす一方で、リスクや倫理的課題に対する慎重な対応が必要です。AIの活用がもたらす社会的影響について、継続的な議論と法整備を進めることが重要です。

 

2023年:ACP(Advance Care Planning)

 

以下はアドバンス・ケア・プランニング(advance care planning:ACP)について述べられたものである。文章を読んで問いに答えなさい。

問1 筆者はACPについてどのように述べているか。本文初めから(*)を要約しなさい。(200字以内)  

問2 代理意思決定者の重要性について筆者の考えをまとめ、下線部にある「価値観の共有」のためにはどうすれば良いか。自分の意見を述べなさい。(400字以内)  

 

ACPは『患者・家族・医療従事者の話し合いを通じて、患者の価値観を明らかにし、これからの治療・ケアの目標や選好(1)を明確にするプロセス』と定義され、その過程においては、身体的なことにとどまらず、心理的、社会的、スピリチュアルな側面を含むこと、治療やケアの選好は定期的に見直されるべきであること医療代理人(2)の選定や医療・ケアの選好などの話し合いの結果を文書化してもよいことなどが重要であるとされている。  

一言でいうと、ACPは「患者の価値観をこれからの医療・ケアに反映させるための話し合い」である。  

(中略)  

我が国の高齢化率は30%を超え、急速に高齢化が進んでいる。高齢化社会の医療での課題として、①人生の最終段階にある患者が増加すること、②認知症などにより意思決定能力が十分でない患者が増加すること、が挙げられる。医療・ケアの方針決定において、患者が十分に医療者から説明を受け、納得のうえで自ら進んで受けたいと思う医療を受けること、いわゆるインフォームドコンセントが重要であることは皆さんの同意が得られると思うが、終末期においては約7割の患者で意思決定能力が十分ではなく、かつ高齢化によって意思決定能力が十分でない方が増えることから、患者から同意を得ることが難しく、ご本人の意向を推定して、家族等と医療従事者が相談の上で今後の医療・ケアの方針を決めることが多くなる。このような場合、前もって患者、家族等、医療福祉従事者がもしもの時にどのような医療やケアを受けたいかについて前もって話し合うこと、つまりACPの重要性が注目を浴びてきた。  

(中略)  

一般的に早すぎる時期(健康な時や病状が安定している時など)に詳細な生命維持治療に関する話し合いを行うと不明確、不正確なものとなってしまうと言われており、また、遅過ぎると行われないため、患者の準備状態を判断した上で、タイミングを逃さない実施が必要であると言われている。対象者が一般国民の場合(健康な時、もしくは病気療養中でも状態が安定している時)は、話し合いの結果が変化しにくく、「代理意思決定者(3)の選定」や「もし自分の命が短いことを自覚した時、どのようなことがいちばん大切か、してほしいこととしてほしくないことは何か?その理由は何か?」「これができないまま生きていくことは考えられない、という自分にとって欠かせない機能はどんなことか?その理由は何か?」などについて話し合っておくことがよいとされている。  

(中略)  

患者・家族と、今後の治療・ケアや療養の場の調整を行う時には、「もし悪くなったらどうするか」だけが話の焦点となり、患者にとって悪い話題ばかりになってしまうことがある。時に患者は、「縁起でもない」「希望がない」と感じて、外来の通院を中断してしまうこともある。病気の早期から一貫して患者の最善を期待し、患者が現在大切にしていることや、希望が最大限達成できるような支援やコミュニケーションを行う一方で、(あってほしくはないけれど)最悪の事態を想定し、「もしもの時にどうするか」について、患者の考えや価値観、具体的な選択肢を話し合うことが重要である。  

意思決定は、時につらい現実を患者に突きつけることにつながる。患者と今後のことを話し合う時に、「今の状態でずっとよい状態でいられることを願っているけれど、もしかすると、可能性として、病気が進行することがある。そうなった時の〇〇さんのことが心配になっている」ということを率直に伝えるとよいとされている。「その上で、あらかじめもしもの時のことを相談し、準備をする」というスタンスが重要である。  

(*)  

終末期においては、患者の意思決定能力がなくなり、代理意思決定者と意思決定を行わざるをえなくなることがある。かしなが、代理意思決定者の多くはあらかじめ患者と病気やその治療について話し会っていないことが多いと言われている(患者も家族もお互いの負担になることを避けたいと考えるあまり先送りしてしまう傾向がある)。そのため、事前に代理意思決定者を患者に選定してもらい、その人とともに、ACPのプロセスを進めていくことが望ましいと言われている(事前指示書(4)の介入がうまくいかない1つの理由として、事前指示書が、患者のみで作成されているため、その背景にある価値観が代理意思決定者と共有されていない点が挙げられている)。患者には、あらかじめこのように尋ねて代理意思決定者について考えてもらうようにしている。  

「万が一、体調が悪くなった場合、ご自分の意向を医療従事者に伝えることができなくなることがあります。そのような場合に、〇〇さんが大切にしていることがよく分かっていて、〇○さんの代わりに、治療などの判断をしてもらいたいと思うのはどなたになりますか?」  

「もし、よろしければ次回の外来までにその方に〇〇さんのお気持ちを伝えて、一緒に外来に来ていただくことは可能ですか?」  

代理意思決定者には、可能ならば外来にともに通院してもらうことをお願いし、もしもの時に、患者になり代わって、患者の推定意思(患者だったらどう判断するか)を代弁してもらうように依頼するようにする。  

(中略)  

実際に病状が進行した場合、「どこでどのように過ごしたいか」「どのような治療を望むか」について話し合う時には、「してほしいことや」「大切にしたいこと」に加えて、「してほしくないこと」について話し合い、その理由と背景にある価値観を、患者–代理意思決定者-医療者間で共有することが必要である。具体的な希望や選択の背景にある「価値を共有すると、複雑な臨床現場で起こる意思決定において貴重な道しるべになる。  

木澤義之「人生会議(ACP:アバンス・ケア・プランニング)本人の意向に沿った人生の最終段階の医療・ケアを実践するために」ファルマシア(日本薬学会)2020年より抜粋、一部改変  

  

脚注  

1)選好:複数の選択肢の中から好みに応じて選ぶこと。  

2)医療代理人:意思表示が困難な、あるいは判断能力のない本人に代わり医療に関わる決定を下す人。  

3)代理意思決定者:意思決定能力のない人の代理で決定を行う権限を持つ人。  

4)事前指示書:意思定能力が無くなった場合に、医療に関する本人の希望を伝達する文書。  

 

<サンプル答案>

 

問1

筆者はACP(アドバンス・ケア・プランニング)について、患者・家族・医療従事者が話し合いを通じて患者の価値観を明らかにし、今後の治療やケアの目標を決めるプロセスであると定義しています。この過程では、身体的な側面だけでなく、心理的・社会的・スピリチュアルな側面を含むことが重要であり、治療やケアの選好は定期的に見直されるべきです。また、医療代理人の選定や、その結果を文書化することも含まれるべきです。

 

問2

筆者は、代理意思決定者が患者の意向を尊重し、適切な意思決定を行うために重要であると述べています。代理意思決定者は、患者が意思決定能力を失った場合に代わりに決定を行う役割を担います。そのため、代理意思決定者と患者が価値観を共有しておくことが必要です。価値観の共有には、患者と家族が事前に具体的な希望や懸念を話し合うことが効果的です。具体的には、患者が何を重要視しているか、どのような治療を望むか、または望まないかを明確にし、その背景にある価値観を共有することが不可欠です。

私の意見として、価値観の共有を円滑に進めるためには、医療従事者が患者と家族に対して、率直で開かれた対話を促すことが重要だと考えます。医療者は「もしもの時」の選択肢や、治療やケアの影響について説明し、患者が直面する可能性のある状況について事前に考えさせることが求められます。また、代理意思決定者には、患者の考えや価値観を理解し、その意向を尊重する責任があることを強調することも重要です。患者と代理意思決定者、医療従事者が共通の理解を持ち、患者の意向が最大限に反映されるようにするための努力が不可欠だと思います。

 

<解説>

 

この小論文試験は、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)に関する理解と、実際的な課題への対応策を問う内容です。ACPは、患者が自分の医療やケアについて事前に意向を示し、家族や医療従事者とその意向を共有していくプロセスです。この試験では、ACPの重要性を理解し、具体的な対策について深く考える力が求められます。

問1では、文章の初めから「*」までの部分を要約するように求められています。ここでは、ACPの基本的な定義とその過程で重要な要素が説明されています。まず、ACPは「患者・家族・医療従事者の話し合いを通じて、患者の価値観を明らかにし、これからの治療やケアの目標を明確にするプロセス」として説明されています。この過程には身体的な側面だけでなく、心理的・社会的・スピリチュアルな要素も含まれ、定期的に見直されることが推奨されています。要約では、ACPの目的や内容、重要性を簡潔に表現し、定義の要点を押さえた回答が求められます。

問2では、代理意思決定者の重要性について筆者の考えを踏まえ、「価値観の共有」のためにどうすれば良いかを自分の意見を述べて考察することが求められています。筆者は、患者が意思決定能力を失う場面において、代理意思決定者とその価値観を共有することが重要だと述べています。特に、事前に患者と代理意思決定者がどのような医療やケアを望んでいるかを話し合っておくことが不可欠であり、そのためには双方の価値観を深く理解し合うことが重要です。

解答においては、価値観の共有をどのように実現するかについて、具体的な方法や事例を挙げて論じると良いでしょう。例えば、医療従事者が患者と代理意思決定者に対して開かれた対話の場を提供すること、あるいは患者の意向に基づく具体的な選択肢を提示することなどです。また、具体例として、過去の事例や自己の経験を交えながら論じることで、より説得力を持った解答が求められます。

この小論文試験では、ACPの基本的な理解と、それに基づく実践的な対応策を考える力が重要です。特に、患者の価値観を尊重した医療・ケアの提供方法を深く掘り下げ、自分自身の意見を具体的に示すことが求められます。解答の際には、論理的に明確で、現実的なアプローチを取ることを意識して書くことが重要です。また、筆者の意見を理解し、自分の意見と照らし合わせて考察を進めることが必要です。

この問題を通して、ACPの実際の運用に関する具体的な視点を培い、医療の現場でどのように価値観を共有していくか、その課題と解決策を明確に論じる能力が求められます。

 

2022年:認知バイアス

 

問1 文章の前半部分(最初から*まで)の要旨をまとめなさい。(250字以内) 

問2 下線部に関して、筆者の考えを踏まえ、不快感から自分の意見に批判的な意見を退ける傾向を弱めるにはどのようにすればよいか、具体例を一つあげ、あなたの考えを述べなさい。(400字以内) 

 

残念ながら我々は、生まれながらに統計を理解できるわけではありません。例えば、健康で長生きする人が増えたというデータがあっても、自分自身が健康でいられるか分からないから不安だという人がいますが、それは論理的とは言えません。そうしたあいまいな不安感を解消するためにも、データと統計について学校で早めに教えるべきです。 

意外に思うかもしれませんが、データを正しく理解できるかどうかは、知能の高さとは関連しません。 

次のような実験があります。ある皮膚疾患に新種の塗り薬を塗ってもらった場合と、塗らなかった場合で、それぞれ症状が改善した人数と悪化した人数を示しました。 

ここで、薬は効いたか効かなかったか質問します。薬を処方した人数と処方していない人数は異なるので、効果については、その割合を比べなければなりません。計算が苦手な人は、人数だけを比較して答えを間違え、計算が得意な人は割合を比較して正しく答えました。 

ところが、別バージョンの実験を行うと、結果は大きく変わりました。皮膚疾患を犯罪率に、塗り薬を塗ったかどうかを、市民が公共の場で銃を携帯することを規制するかどうかへと問題の内容を変えたのです。 

すると、犯罪率が銃規制によって「低下」したことを示すデータが示されたとき、銃規制を行うべきだと考える、リベラルで計算に強い人は、データを正しく読み解きました。しかし、銃規制を行うべきではないと主張する保守派の人は、計算に強い人であっても、銃規制が犯罪率の低下に効果があったという正しい答えを導けませんでした。 

同様に、犯罪率が「上昇」したデータを示したとき、保守派で計算に強い人は全員正解しましたが、リベラルで計算に強い人は、大半が答えを間違えました。計算に強い人でも、銃規制に賛成か反対かという、自分の政治的信条に基づいた解答をしてしまうのです。 

また、あるリスクを現実的な脅威として実感させるには、統計やデータよりもシリアスで具体的なケースの方が有効です。たとえば新型コロナウイルスの危険性を伝えるには、死亡者数や致死率などのデータを並べるよりも、たった一人の有名人が感染することのほうが効果的です。イギリスのボリス・ジョンソン首相が一時、集中治療室に入ったと報じられましたが、これでCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の危険性を実感した人が多いのではないでしょうか。一度も会ったことがないのに、一流スポーツ選手や有名シンガーが感染すると他人事には思えないのです。 

我々の認知能力はバイアス<注>の影響をすぐに受けます。そうした限界を克服するために、データを理解する必要があるのです。調査や分析によって得られるデータから考え、自分自身の考えだけを信頼しないよう、常に心に留めておくべきです。

(*) 

だからこそ、私たちは歴史の中で理性を保つための基準や制度を作ってきたのです。たとえば、科学の実験、言論や表現の自由、大学、裁判制度、民主的な議会などです。これらは、集団として合理的な判断を下せるようデザインされています。 

インターネットや SNSにおいては自分が見たい情報しか、見えなくなりがちです。それを「フィルターバブル」と言います。我々は、自分と異なる意見を持つ人々に対して「彼らはフィルターバブルに入っている」と一蹴してしまいますが、私たち自身もフィルターバブルの中にいることには気付いていません。 

自分が正しいと思わせてくれるストーリーや記事を読むのは楽しいものです。反対に、自分の見方に批判的な内容に触れることは不快です。しかし、健康に過ごすため、食べすぎずに運動を心がけるように、自分とは異なる意見も傾聴すべきです。 

普段から、自分と意見の異なる人と積極的に意見交換した方が良いでしょう。 

教育を受けたはずの科学者でさえ、この落とし穴の例外ではありません。私が「バイアス・バイアス」と呼ぶ誤謬(ごびゅう)があります。自分もバイアスに囚われているということを忘れ、自分とは意見の違う人こそがバイアスを持っていると思い込むことです。 

あるリベラルな三人の社会科学者は「保守はリベラルよりも敵対的かつ攻撃的である」という論文を発表しました。しかし、実はデータの分析を誤っており、本当はリベラルの方が敵対的かつ攻撃的だということに気が付き、論文を取り下げたのです。 

(スティーブン・ピンカー「認知バイアスが感染症対策を遅らせた」、大野和基[編]『コロナ後の世界』、文藝春秋、2020年より抜粋) 

 

<注>バイアス:偏り。偏向(広辞苑第七版(岩波書店)より抜粋) 

 

<解答例> 

 

問1 我々の認知能力はバイアスの影響をすぐに受ける。データを正しく理解できるか否かは知能の高さとは関連しない。たとえば、銃規制と犯罪率との関係に関する実験で明らかになったように、人は自分の政治的信条に基づいた解答をしてしまう。また、新型コロナウイルスの危険性を伝えるには、統計やデータよりもシリアスで具体的なケースの方が有効である。こうした限界を克服するために、データを理解する必要がある。(192字) 

 

問2 人の認知バイアスを抑制していくためには下線部のような傾向を弱めなければならない。そのためには筆者がいう「理性を保つための基準や制度」を整えることが必要である。「理性」とは感性とは別の認識・思考であり、たとえば正反合のように複眼的に物事を捉え、考えることである。 

 こうした制度の一つが教育である。そのため課題文冒頭では、データと統計について「学校」で早めに教えるべきことを説く。基本的には同意するが、そこでの教育のあり方によっては認知バイアスを拡大する恐れがあることに留意したい。旧来までの教育は教師が「正解」を教えるティーチングが中心だった。しかし、こうした教育だけでは「理性」を保つことは難しい。これからの教育はコーチングを中心とし、教師は何が「正解」かを生徒に「問う」ことが大切だ。そして各自の「正解」について議論する経験を重ねることで、認知バイアスへの耐性が身につく。(386字) 

 

<解説> 

 

 今回の出題テーマは「認知バイアス」です。たとえば、「脳が情報を処理し、理解するために無意識に思い込みや周囲の環境をもとに取捨選択をするという偏りや歪み」と定義されます。「思い込みや周囲の環境」が起点になる歪みですから、昔からあった現象といえます。特定の人や属性に対する根深い差別や偏見の多くも、こうした「認知バイアス」が一因であると思われます。 

ただ、ネットやSNSの発達が「認知バイアス」を拡大させた可能性があります。フェイク・ニュースやポスト・トゥルース(客観的な事実より、虚偽であっても個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ状況)などの現象や病理は、ネットやSNSが促進、激化させた面があります。 

コロナもまた「認知バイアス」の拡大に寄与してきました。そもそも客観的な根拠があり、社会に受容されてきた既知の知識に対しては、「認知バイアス」は起こりづらく、起こっても拡大はしません。しかし、コロナはあらゆる面で未知のことが多いため、「認知バイアス」が起こり、拡大しやすいのです。コロナに関わる根拠のない「風説」の類は無数にあります。しかも、未知への不安に基づくものなので、歪みが強固で、修正が難しい特徴があります。 

 医学・医療の中にも「認知バイアス」が無数にあると思われます。さて、どのような事例があるでしょうか?そして、それらに、どう対処すべきでしょうか? 

 

 

2021年:医師の働き方改革

問1、医師の働き方改革を進めるにあたり問題となっているのはどのような点であるか、筆者の指摘していることを200字以内で述べなさい。

問2.筆者はなぜ医師の働き方改革が必要であると考えているのか、昨今の社会情勢を踏まえてあなたの意見を400字以内で答えなさい。

 

近年、様々な職種において労働時間、労働内容、待遇などを是正するための取り組み、いわゆる働き方改革が進められ、関連法も施行されている。働き方改革の波はこれまで取り組みが遅れてきた医療の世界にも波及してきており、今後は医師を含む医療労働者においてもその恩恵が得られることが期待される。しかし、同時に医療においては働き方革を進めるにあたり難しい点もある。次の文章はNPO法人である「ささえあい医療人権センターCOML(コムル)」に所属する筆者が医師の働き方改革への想い、考えを述べたものである。

 

医師の働き方については、過度な長時間勤務や当直明けの外来や手術などは患者から見ても危険であり、たしかに見直しが必要だと思われる。睡眠不足や疲れきった医師に診てもらいたくないというのが、多くの患者の共通した想いではないだろうか。

しかし、政府が進めようとしている働き方改革をそのまま医療に当てはめることには無理があるのではないかと以前から思っていた。そもそも、時間帯によって医師の働き方に緩急があったり、診療科による時間の使い方にも大きな差がある。そして何よりも、実効性のある医師の地域偏在対策が講じられず、明らかに医師が不足している地域がある。著者はそのような地域にも講演で招かれることが多く、医師不足地域の大変さを目の当たりにしている。その地域で踏みとどまり、犠牲的精神ともいえる状況で医療を提供している医師たちに、一律の時間外労働の上限を一般の労働者と同じように課したら、たちまちそれらの地域における医療は崩壊してしまうだろう。

医師の地域偏在の問題は、厚生労働省の「医師需給分科会」で著者も構成員として議論に参加している。長年議論されながらなかなか解決されない問題で、偏在が起こっている地域では、同じ日本に在住していながらも、十分な医療が提供されないことを住民は強いられているわけである。これは単純に医師を増やせばいいという問題ではない。数でいえば、年々医師数は確実に増えてきた。問題は、偏在が起こっている地域にいかに医師を確実に配置するか、その方策が問われている。

地域偏在とともに、診療科による医師の偏在問題もある。長時間労働になりやすい診療科もあれば、なり手が少なくて1人の医師に負担がかかりがちな診療科もあるだけに、一律の対応は不可能だと思われる。それに、たとえば長時間に及ぶ手術を行っているときに、

「規定の時間になったので交代してください」ということができるような単純労働ではないのが医療である。

さらに、医師になりたてのころは学ぶこと、訓練しなければならないことがたくさんある。自主的な研修や勉強まで"労働時間"と見なしてしまうと、習得すべき時期に知識や技術が身につかないことも懸念される。

医師の長時間労働につながっている原因として、"応召義務"が取り上げられることがよくある。医師法第19条で「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定められている。これを廃止すべきという議論もある。しかし著者は、この応召義務のなかには医師が単なる労働者ではなく、患者のいのちを守る使命が込められた、ある種の医師の矜持ともいえる要素があるのではないかと思う。そのような気概は大切にしてもらいたいというのが正直な気持ちである。

それだけに、できるだけ医師でなくてもできる業務は他職種と分担することを進めるべきだと思っている。おそらく近い将来、AI(人工知能)が医療現場でも活用されれば、医師の業務内容にも大きな変革をもたらすことだろう。

このような問題意識をかねがね持っていただけに、とりまとめで定められた(B)水準や(C)水準 に批判の声が上がっているのも承知しながら、致し方ない部分ではないかと正直感じて報告書(厚生労働省 医師の働き方改革に関する検討会報告書)を読んだ。

ただし、この医師の働き方改革を進めるにあたっては、われわれ患者側の理解も不可欠だと著者は思っている。

COMLに届く電話相談でも「夜中に急変したのに、なぜ主治医がすぐに病室に駆けつけてこないのか」「こんな重篤な患者を抱えているのに夏休みをとるなんてけしからん」と言ってくる方がいる。しかし著者はもう、1人の主治医にすべてを託す時代ではないと考えている。チーム主治医制の必要性を患者側も理解し、チームがしっかりと患者の情報を共有したうえで患者に対応することを受け入れていく必要があると思う。

また、病状や治療の説明を受ける家族が、「仕事が忙しい」と夜間や土日に説明を求めることも、医師の長時間勤務を助長している。「家族が病気で医師から説明を受けるので、昼間少し仕事を抜けさせてください」と職場で言えて、それが「当たり前」だと受け入れる社会にしていかないといけないのではないだろうか。

今回の働き方改革の議論の展開を見ていると、ともかく"働く時間を短くすること"ばかりが強調されているような印象を強く受ける。著者はそうではなく、"いかに多様な働き方を認めるか"が大切ではないかと思う。

同じ時間働いて、同じ業務に就いていても、ストレスの受け方、疲れ方といった心身の負担は個人差がある。ある人にとっては疲幣する原因になる仕事の量や時間であっても、別の人にとってはいきいきと働ける内容であることすらある。それだけに、心身ともに厳しい状態になっている医師を見きわめて手を差しのべ、対応できる医療現場になることのほうが大事だと思っている。

そのために患者が協力できることは、やはり節度を持って行動していくことだと思う。そして、医師に期待を一極集中させるのではなく、ほかの医療職の役割を理解し、チームをうまく活用していくことも、いま患者側に求められていることだと思う。

(山口郁子「医師の働き方改革への想い」、医学のあゆみ、2019年より抜粋、一部改変)

 

*脚注

2024年から適用される時間外労働の上限の区分

(A)水准:一般労働者と同様の、月45時間、年360時間(例外あり)

(B)水准:地域医療確保暫定特例水准、月100時間、年1860時間(例外あり)

(C)水准:集中的技能向上水准、初期研修あるいは先進的で高度な技術習得を目的に集中的

に診療業務を行う場合、時間の上限は(B)水準と同じ

 

<解答例>

 

問1 医師の働き方改革は時間外労働の上限を定める。このような一律な対応では無理があると筆者は指摘する。医師の働き方には緩急があり、診療科による時間の使い方にも大きな差がある。また、医師不足地域で働く医師たちに一律の上限を課したら地域医療は崩壊する。さらに、初期研修段階での自主的な研修や勉強を労働時間と見なすと知識や技術が身につかない。労働時間短縮より多様な働き方を認めることが大切だと筆者は考えている。(199字) 

問2 筆者の課題認識を端的に表現するならば「医療の多様性」である。医師の仕事は地域や診療科によって大きく異なる。それにもかかわらず医師の働き方改革は一律に時間外労働の上限を定めた。多様性の正反対にあるため、筆者はこれに強い違和感を抱くのだろう。 

 「医療の多様性」は昨今の社会情勢から踏まえても大切な視点だ。たとえば、高齢化が進展し多死社会となった現代では、死の迎え方についてもさまざまな意見がある。多様なニーズに対応するには、医療職だけではなく他職種との連携も欠かせない。さらに、患者も医療の主体として位置づけ、節度をもった行動を含めて、役割や責任を求めることも必要になる。筆者が医師の働き方改革が必要であると考えるのは、こうした「医療の多様性」を実現するためだと私は考える。それは他でもない患者の意思や状況に応じた最適の医療を提供するためでもある。医師の働き方改革は医師だけでなく、患者のためでもあるのだ。 

 

<解説>

 

 札幌医科大学医学部医学科2021年推薦入試の出題です。テーマは医師の働き方です。この入試は地域医療に従事する学生の募集を目的としているため、医師の長時間労働というテーマは他人事ではなく自分事です。また、コロナ禍が医療逼迫を招く中で、医師の働き方が再びクローズアップされたことも出題の背景にあると思われます。課題分は平易な内容ですが、エッセイのため趣旨が不鮮明なところもあります。そのため読解力中心の出題になったと思われます、問1は著者の課題認識をとらえることを求めています。これを踏まえて、問2は筆者が考える働き方改革の必要性と、それに対する見解論述を求めています。前者は「一律」や「多様」というキーワードを、後者は筆者が患者という視点で述べていることをつかめば、内容説明や見解論述はそれほど難しくありません。なお、「昨今の社会情勢」を踏まえることが論述の条件です。コロナ禍だけでなく、医師の働き方に影響を与える諸々の情勢の中から自由に選びましょう。そこに各自の問題発見能力・独自性が問われます。 

 

 

2020年:医学生の倫理観

 

以下の文章を読んで、問いに答えなさい。

 

間1、筆者の考える「模擬患者」の役割について200宇以内で説用せよ。

間2、「医学生の倫理観」を養うためには何が必要か、筆者の考えを踏まえて具体例を挙げ、あなたの考えを500字以内で述べなさい。

 

大学医学部では臨床実習開始前に共用試験が行われる。共用試験では、知識の総合理解度を評価する1)コンピューターを用いた試験(Computer Based Testing, CBT)と、模擬患者の診察によって態度・技能を評価する、2)客観的臨床能力試験(Objective Structured Clinical Examination, OSCE) が行われる。共用試験は一定水準以上の学生を臨床実習に参加させるために、医学系大学が協力して推進している大学間で共通の評価システムである。OSCEのなかには医療面接の試験があり、その相手役として模擬患者が活躍するようになった。

 

大学医学部でOSCEが義務化されて以来、模擬患者は急速に人数が増えました。大学で養成している模擬患者もいれば、⋯⋯のグループや団体に所属している模擬患者もいます。‥‥・模擬患者をしているメンバーに始めた動機を聞いてみたところ、「みずからの患者体験で医療現場におけるコミュニケーションギャップを痛感した」「医療者に"病“だけでなく心を含めた全体を見てほしいという想いから」「医療でお世話になった恩返しがしたい」とさまざまです。

また実際に模擬患者として活躍する意義ややりがいについては、「医療者の養成に役立っていると実感できること」「自分のフィードバックによって目の前で学生や研修医のコミュニケーションに変化が起きるのを実感できる」「学生から『患者さんが感じている生の声を聴けて勉強になった』と言われる」「フィードバックを前向きに受けとめて、今後の成長に役立ててもらえる感触が得られる」と、まさしくみずからの働きかけで学生や医療者の実践的な学びとなっていることへの喜びが挙げられています

とくに研修医の研修の一環としての模擬患者セミナーを見ていると、医療者側と患者側の視点の違いが明確になることがあります。研修医は現場に出て知識も増えてきていますので、ともかく患者に必死で説明をしようとします。一方的に理路整然と説明する同僚の姿を見ると、終了後「説明が見事だった!」と仲間は称賛します。しかし、模擬患者は「私の想いを受けとめてもらえなかった」「理解しているかどうかお構いなしに説明が一方的に進んだ」というフィードバックになることもあります。このように自分のコミュニケーションについて指摘される稀有な体験が、模擬患者による医療面接の特徴だと思っています。

(中略)

共用試験の運用やとりまとめをしているのは公益社団法人医療系大学間共用試験実施評価機構(CATO)で、私は理事の一人です。そのなかで感じているのが、医学生の倫理や態度について教育、評価することのむずかしさです。学生に倫理を学ばせるために、まず"倫理学"を教える大学があります。しかし私は、倫理とは日常生活のなかで求められている判断や態度だと受けとめています。それを実感したのが、ある大学で起きた OSCEの課題漏えい事件です。

共用試験のOSCEは四年生に実施されるのですが、その大学では当時、三年生のボランティアを募って試験会場の設営を手伝ってもらっていました。そこで受験生である四年生が、ボランティアを申し出た三年生に「夜になると試験会場に課題が貼り出されるから、それを写真に撮って送ってほしい」と依頼したのです。それを受けて二人の三年生が夜、会場の玄関にいた守衛に「なかに忘れ物をした」と嘘をついて潜入しました。一人はよくないことだと思い直したのかすぐに退出しました。一人は残ってすべての試験の課題を写真に撮り、依頼主の四年生にそれを添付したメールを送信しました。その四年生が複数人で写真を共有したうえに、四年生全員に「予想問題」と題してメールを送信しました。しかし受け取った一人がそれに不快感を抱き、内部告発したことで不正が明るみに出たのです。

OSCEの実施にあたり何か不正事案が生じると、私は医療者ではない一般の立場の理事として、すべての事案の調査委員を拝命しています。そのため、この試験問題漏えい事件も現地調査に行き、ヒアリングなどをおこないました。

現地調査に行くまで、私は三年生が忍び込んだのは設営が終了した無人の試験会場だと思っていました。しかし実際は、まだ事務員が準備していて有人だったことがわかりました。つまり、学生はなかに人がいるとわかると物陰に身を隠し、人がいなくなるのを待って忍び込んで写真を撮っていたのです。

現地でその様子を想像した私は、怒りを通り越して、悲しくなりました。たとえば、小・中学生が起こした事件であれば、なぜよくないことなのか解いて教えることもできます。しかし、大学三年生といえば少なくとも成人していますし、ましてや人のいのちを預かる医師をめざす医学生です。

そのときに強く感じたのは、日常生活のさまざまな場面で試される倫理的な判断力を醸成することの必要性でした。

たとえば、スマートフォンやパソコンは私のような年齢の者にとっては便利な道具ですが、いまの若い世代には子どものころから慣れ親しんだ日常の道具です。そのため、「できること」と「していいこと」の境界がわからなくなっているのではないかと思ったのです。「できるけれど、していいことか」と立ち止まって判断する基準こそが倫理観なのだと思います。そのうえ、医師になれば毒性の強い薬を処方したり、手術でからだにメスを入れて切開したりするなど、普通の人なら罪になることができる資格を持つわけです。

そう考えると、日常から「できること」と「していいこと」の境界を考えることこそ、倫理観を養うことではないかと感じました。

医師が倫理観をもって患者と向き合うこと、それは患者から見ればとても大切な基本です。それだけに医学教育界に患者がどのような医師を望んでいるかを伝え続けることも私に課せられた大切な役割だと思っています。

(山口育子『賢い患者』、岩波新書、2018年より抜粋、一部改訂)(公益社団法人医療系大学間共用試験実施評価機構(CATO)ホームページより抜粋、一部改訂)

 

<サンプル答案>

 

間1

「模擬患者」の役割は、医学生に対して現実的な診療体験を提供することにある。模擬患者は、医学生に対して実際の患者のような反応を示し、医療面接や診察スキルを評価する重要な役割を果たす。特に、患者の感情や状態を的確に伝えることで、学生が医療者としての態度や技能を向上させる手助けをする。また、模擬患者は学生のコミュニケーション能力や共感力を試す貴重な機会を提供し、医師としての資質を育むための一助となる。

間2

医学生の倫理観を養うためには、日常生活における倫理的判断を実践的に経験することが不可欠である。まず、倫理学だけでは不十分であり、日々の行動や判断において「できること」と「してよいこと」の違いを理解する必要がある。例えば、スマートフォンやパソコンを使用する際にも、情報を得ることができるからといってそれを無断で使用するのは倫理的に問題がある。医師という職業は、他者の命に関わる重大な判断を日常的に行うため、倫理的判断力が求められる。実際の医療現場では、患者とのコミュニケーションにおいても倫理観が重要である。例えば、患者に対する説明を一方的に行うのではなく、患者の感情や理解度を考慮して説明することが求められる。このような姿勢を養うためには、模擬患者とのやり取りを通じて、現場での倫理的判断を体験的に学ぶことが重要だと考える。また、倫理的な判断を定期的に振り返り、自己評価を行うことで、より高度な倫理観を養うことができるだろう。

 

<解説>

 

この小論文試験は、医学教育における倫理観の重要性と模擬患者の役割について深く考察する内容です。それぞれの設問について、解説を行います。

間1では「模擬患者」の役割について述べることが求められています。模擬患者は医学生に対し、実際の患者のように振る舞い、学生が医療面接や診察における態度や技能を評価される場を提供します。医学生が技術的なスキルだけでなく、コミュニケーションや共感力を養うために模擬患者が重要であることを強調する点が求められます。模擬患者は学生に現実的な診療体験を提供し、その反応によって学生の能力や医師としての態度を評価し、向上させることができます。この設問では模擬患者の具体的な役割に焦点を当て、医学生の学びにどのように寄与するのかを説明することが求められます。

間2では、「医学生の倫理観」を養う方法について考察することが求められます。この問題では、倫理観を学問的に教えるだけでなく、日常生活や実践的な体験を通じて育成する必要性が強調されています。特に「できること」と「していいこと」の境界を理解し、倫理的な判断力を養うことが重要です。これは、医師として患者の命を預かるため、責任ある行動が求められる職業であるからこそ、倫理観の重要性が際立つためです。具体的な例として、スマートフォンやパソコンを使用する際の行動の指針を挙げ、「倫理観とは日常的な判断に現れるもの」であることを示すことができます。また、医療現場で模擬患者を使った訓練を通じて倫理的な判断を実践的に学ぶ重要性も述べることが望まれます。この設問では、理論的な倫理学の教育だけでなく、倫理的判断力を実生活や臨床実習で実践する方法を具体的に示すことが求められます。

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